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2025年11月24日03:56

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アメリカと精神性(46)道徳における自欲を超えた景色

あなたは、『道徳』という言葉を、日々意識しておられるでしょうか?

私は、見栄を張る人生を送っていた時であっても、『道徳』という熟語、その言葉の重要性が頭からなくなることは、この半生の間で一度もありませんでした。

一般的に『道徳』とは、人に迷惑をかけない行為のように使われ理解されているようにみうけられます。実際、ホーキンズ博士の著作でも、moralとethicは、他者に迷惑な行為をするような間違いを犯さない認識として論述されていますしね。

『モーゼの十戒』などの道徳律を守る意志をもつことを、博士はエンドルフィンを分泌する臨界点として、スピリチュアルの『勇気』の始まりと述べている通りです。

同時に、博士は、私利私欲に基づく利己的な思考と行動を手放し、利他的な思考と行動をとることの必要性を再三説いていることに注目すべきです。道徳の黄金律は「自分にして欲しいことを、他者にする」ですよ。

このfacebookページ(アメブロ;ミクシーの日記;X)で博士の論述の要旨を公開していることや、お隣りの生垣の雑木を切り、土と雑草の除去と剪定した行為も、私は、自分にして欲しいと思う行為を、利害関係のないあなたや、お隣りにします。

そのように、利他的に生きるために必要なのは、独占欲、支配欲、権力欲といった、いわゆる自分だけの『欲望』を捨て去り超越しましょう。

もしもあなたが、自分だけの『欲望』を手放すならば、それに付随した、自身の財産、地位や、名声を失うことへの『恐怖』のエネルギーも枯渇していることに気づくはずです。すなわち、意識レベル200未満のレベルは、ある強烈なネガティブな動機に基づく執着を『手放す』と、それに付随したネガティブな様々なレベルのエネルギーも、一緒に手放したことになる訳ですよ。

あなたが歩むべき『道徳』とは、徳を積み上げ続ける道です。

するとあなたは、『モーゼの十戒』は、徳を積む『道徳』を示しているのではなく、正確にいうと、徳とは反対の不徳の行為とは、何かを教えているものだと気づかれるでしょう。あなたは、『モーゼの十戒』を実践するのみでは、まだ徳を積んだことにならないことを忘れてはいけません。

あなたは、ダンテの『神曲』(較正値505)をご存じでしょうか?

『愛』のレベル500以上という較正値は、スピリチュアルを主観的に実際に体験する領域を示しています。『モーゼの十戒』を守っただけでは、実は天国へは行けないのです。それは例えば『欲望』が過剰なら、死後の行き先は煉獄と覚えておきましょう。


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