両親に対する『見栄』から演じていた私の『いい子』の結末は、いつも悲惨なものでした(笑)
何故なら、両親に『見栄』を張るということは、両親にもこころを開いていなかった訳で、まさに「上辺だけの家族のようにみえた」と、両親の死後、いとこに言われた通り、外から見ても家族にさえ本音を言えない、実に冷たい家族関係であったことは確かでした。
私も幼い頃から「いい子」を演じる息苦しさから、母にそれをいうと、『土岐だけではなく、一族が全部そうよ』と、憎しみに満ちた表情から、まさに母の本音が聞けました。これは、いまから四半世紀前の出来事で、私は、お金がいくらあっても心は満たされないことに気づいた時の会話です。
私はぞっとしました。
両親が生きている間は、私は家族の誰にもこころを開けないのかと・・・。
母の前では、一生「本音を言えずにいい子を演じていなければならないのか」と、私はどん底に落ちたような、何ともやるせなくなったものです。「あなたが東大に行けないと知って、慶應に行けるように頑張った」と言われた時と同じように、私は、また何もやる気を失った瞬間でした。
勿論、「いい子」を演じる見栄の起源は、幼い頃に私は両親の喧嘩に怯えていたことによって、見栄を張って『いい子』にしていなければ、両親から捨てられるという恐怖心ですね。
恐怖の『いい子』は、私自身の200未満の意識で演じられていたことを示しています。
いま振り返るなら、私は、両親の存命中に、それを手放すことは残念ながら不可能に近い注文であったようにみえますし、実際その通りで、博士の論述の通り幼い頃の両親の不和の影響は、生涯情緒の不安定さに影をおとすというのは、私の実体験そのものでした。
それほど、幼い頃の両親の不和は、私のこころの内側に深い傷を負わされていたといえますね。あなたも、是非、様々なトラウマを見つけ出し、ひとつひとつ処理してゆくことで、『意識レベル』の高いところで日々を過ごすことが出来るようになるはずです。
別れた妻の前で、私はいつも素のままでいられました。彼女は、私が物事の本質をズバリ指摘し、しかも「学問のすすめ」を地でゆき、学び続ける熱心さにいつも感心していました。彼女は、外資の証券会社にアナリストとして勤務していたこともあり、「せいちゃんは、アメリカで生まれていれば、すごいことになっていたのに、日本にいてはもったいない。」といった趣旨のことを、幾度も言われたものです。
しかし彼女はスピリチュアルに目覚め、それを軸に生きようとしていた私から離れていったのです。
それは、後にカルマの解消のための出来事と判明したのです・・・。
因みに、いまは、誰の前でも素のままですよ(笑)
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