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2023年10月26日18:33

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女川の街で。

というわけで、先日から長々書き連ねている宮城旅行記の続きです。

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震災発生時刻と同じ14時46分(実際には途中でSuica乗り越し客対応があって少し遅れたかも)に到着した女川駅は、温泉施設と合築ということもあり、街の規模の割にはかなり大きい感じを受けます。
駅の南側にはバス・タクシー・一般車のロータリーがあって、列車から接続を取った町営バスのハイエースが次々と発車していきました。

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ちなみに、昔のフォトから掘り返したのですが、2002年頃訪問した女川駅はこんな感じでした。
温泉施設は駅の隣にありました。

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駅の真正面から道路を渡って、海まで1本のレンガ道が続いています。
これが『シーパルピア女川』という、駅前の核となるテナント型商業施設です。
並木はまだ細いですが、あちこちに排除型でないテーブルやベンチが用意されているのは好ましいですね。
もとからあったお店ばかりでなく、地元の海鮮料理を存分に味わえるお店や海産物を扱っているお店も多いのですが、
お昼は登米で食べてきて現在15時過ぎ。
どこかのおやつに菓子パン3個も食べる方なら話は別でしょうが、今回は後ろ髪を引かれつつも見送りました。

海へ出る少し前に道の駅や観光案内所があり、そこから道を渡って海へ行くと、
こんな場所があります。

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震災遺構として保存されている「旧女川交番」です。

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周りから見ると大きな穴の中みたいな場所に、かつて交番だったコンクリートの塊が転がっていました。
女川町を襲った高さ15メートルの津波で、基礎の杭ごと引き倒されてこうなりました。
津波の恐ろしさを改めて思い知るとともに、周りに生えた草木が震災から干支がひと回りしたという時間の経過を感じさせられます。

女川町中心部の復興に際しては、旧市街地の跡地に7〜9mの盛り土をしてかさ上げしています。
そのため、交番は穴の中にあるように見えるのです。

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交番の穴の縁を回りこむように、下へと続くスロープが続いており、
その壁面には女川町の復興の歩みが掲出されていました。

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全てを変えてしまった巨大津波からの復興。
町民の皆さんの決然たる覚悟がうかがえます。
ちなみに、道の駅近くの観光案内所で貰ったパンフレットには、当時小学生だった方が書いた、こんな詩が3ページ目に載っています。
「女川は流されたのではない 新しい女川に生まれ変わるんだ
人々は負けずに待ち続ける 新しい女川に住む喜びを感じるために」

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見ていたらいつの間にか涙が流れていました。
なんか、涙なしでは見られない気がします。

女川交番のすぐ目の前は、港です。

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結構規模の大きい港で、漁港として知られるほか、
離島の出島、江島、さらにパワースポットとして知られる金華山への航路も出ています。
大津波で壊滅的被害を受けた女川町ですが、ここに住む以上海から逃げることはできません。
午後の日差しの下、港には幾許かの釣り人が糸を垂らして釣りを楽しんでいました。
一体どんな魚が釣れるのでしょうか。

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海から引き返し、マリンパル女川の商店街へと戻ります。
正面奥には女川駅の建物が。
本当ならせめて魚の干物を買ってクール便で家へ発送するとか、カフェでコーヒーの一杯くらい戴いてお金を落として行くのが筋なのでしょうが、
15時台は何かと中途半端なのでそういう気にならず……。

マリンパル女川を中心とした商業施設はかさ上げされた地盤の上に配置されていますが、
役場や学校(避難所になる)、住宅は、これよりさらに高台の方にまとめられています。
駅とかさ上げされた街を見下ろす役場まで登ってみました。

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役場の前には、女川町の東日本大震災慰霊碑が建立されています。
亡くなった方々の名前が列記されているので、横にものすごく長いです。

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この震災で、女川町では827名の死者(行方不明のまま死亡届が受理された方を含む数字)、9名の外国人死者を出しています。
中心部の銀行で大津波警報発令とともに屋上へ避難したが、屋上まで津波に呑み込まれて助からず、
後に裁判になったという事例を憶えておられる方もいらっしゃるでしょうか。

さて。
15時45分頃女川駅へと戻り、折角なので女川駅併設の『女川温泉ゆぽっぽ』へと行きます。
料金は500円ですが、先程貰ったパンフレットの最終ページの角が割引券になっていて、
これで400円で利用できました。
早いですが、ここで今夜の入浴を済ませることにします。
お風呂はpH8.8のアルカリ性塩化物泉とのことで、肌にいいらしいです。
お風呂の壁面には、日本画家千住博さんと、皆様もよくご存知の工業デザイナー水戸岡鋭治さんがデザインしたタイルアートが広がっています。
平日の16時頃とあって、閑散としていました。

お茶を買って一服してから『ゆぽっぽ』を後にして、風呂場と同じ3階にある展望デッキへ行ってみます。
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まっすぐ伸びた通路の向こうに広がるのは太平洋。
実は丁度道の向こうに朝日が昇ってくるような設計になっているそうです。

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Suicaが使える石巻駅までのきっぷを買って、やってきた小牛田行きの列車に乗り込みました。
列車は行きに乗ったものが折り返してきたものだったので、行きとは違う車両に乗車します。
出張帰りらしいスーツ姿のグループもいて、2両で25人ほどのお客ながらそれなりに賑やかでした。
丁度下校時間に当たり、渡波駅ではかなりの数の高校生が乗ってきました。
他人の座っているボックスには入りたくないのは全国共通のようですねあせあせ(飛び散る汗)

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道中、結構激しい夕立に見舞われたのですが、
その雲が過ぎ去った後には虹が掛かっていました。

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列車を石巻駅で下車します。
宮城県北部最大の都市ということもあり、駅前には百貨店?居抜きの市役所にイオンを併設したのがあったり、居酒屋も多く、また意外に路線バスの出入りが多かったです。
ステンドグラスが印象的な駅舎の前には、高校生が多数たむろしていました。
ちなみに、この駅も、震災の津波で浸水被害を受けています。

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駅前のミヤコーバス案内所に入ったら、判断ミスで北上川の堤防に避難した児童教職員ら多数の死者を出し裁判にまでなった「大川小学校」など、いくつかの震災遺構へのバス時刻表が掲出されていました。
平日運行・一部デマンドのコミュニティバスに乗り換えてまで訪問する方が少なからずいるのだと思います。
「震災遺構」は宮城県内に多数残されており、翌日仙台駅の観光案内所で「旧荒浜小学校」のパンフレットが置かれていたのを見て驚きました。
「震災遺構」として負の記憶を残すことには様々な考えがありましょうが、
機会があれば、ぜひ一度でも1箇所でもいいので訪問し、震災で犠牲になった方々に思いを馳せるのも、今を生きる我々にとっては大切なことではないでしょうか。

この後は、仙石線で本塩釜駅まで移動し、駅近くのホテルで1泊します。
それ以降の話は、また後日、ということで。
(大変長くなりすみませんあせあせ(飛び散る汗))
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