新しい「うる星やつら」のアニメが10月に始まる。
その前に、かつて放映された古い「うる星やつら」について書いておこうと思う。
新しいのが始まったあとでは、まるで当てつけのように見えるだろうから(笑)
以下、特に注釈なく「うる星」と書けばアニメ版のことを指す。もちろん80年代の。
私にとって「うる星」とは、特別で、別格で、ある意味初体験で、ヲタクに堕ちた原因であり、過去の生涯でもっとも「好き」を費やした作品である…からして、中立公正なレビューなどは不可能であり、書くつもりもない。
だからと言って、勘違いしてほしくないのは、私は「うる星」を全肯定しているわけではないということ。ツンデレぢゃないぞ?w
うる星は4年半に渡り放映され、その間、多くの傑作回が生まれたが、駄作回もまた多かった。
また、これをいうと嘘のように聞こえるが、好きなキャラもいなかった。
「うる星」が好きで、「うる星」のポスターなどは手に入る限りは買ったし、実際に部屋にも掲げた。その多くには、いや、その全てにラムは描かれていたが、ラムがことさらに好きというわけでもなかった。
後年、ラムの等身大ポスターのためにフレームを特注したヤツが何を言うのか。
しかし、おれにとってラムは「うる星」の象徴に過ぎない。ラムが好きだから「うる星」を観ていたわけではない。
あたる、しのぶ、他のキャラについても同様である。
高校生だった当時、友達に薦められて観始めた「うる星」
当然のことながら、途中からである。
それまで「うる星やつら」を何と読むのかも知らなかった。うるほしやつら?
観始めて、率直に思ったこと。
男同士の友情というものが、笑い飛ばす対象になっていること。
青春んん? 友情ぅぅ? アーッハハハッ という感じ。これには戸惑った。
時は1980年代初頭。
それまで、アニメ実写問わず物語に複数の男が出てくれば、そこには必ず友情があった。
時に信頼のおける仲間として、時にライバルと書いて友と読むアレだったり。
当時、少し前にハマっていたのが「銀河鉄道999」
星野鉄郎は好きなキャラだった。あの情に厚いところがいい。
メーテル「男の子が友達のために涙を流すのは恥ずかしい事じゃないわ」
遡れば、ハーロックも好きだった。ハーロック「友よ」
この「友」という言葉は作中においても、主題歌にも刻まれた重要ワードだ。
そんなところから「うる星」に目を向けたらどーだろうか。
あたる、面堂、メガネ、温泉マークにジャリテン。
あるのは友情というより利害関係であり、天秤が傾けば容易く裏切り、時には牛丼によって買収されたりするw
1970年代は、暑苦しいくらいの青春賛美の時代だったと思う。
友情、愛、信頼……。そして夕日に向かって走っちゃう。バカヤロ〜。
そのアンチテーゼとまでは言わないまでも、反動というか、揺り戻しというか、パロディー?と、いま俯瞰して考えればなるほどと思わなくもないけど、一人称視点で時代の渦中にいた未だ一般少年だったおれが戸惑うのも無理なからぬとこだと思う(力説
また女性陣に目を向けても、ラムはあたる以外にはドライで「好きの反対は無関心」を体現しているし、しのぶも、面堂が登場すると見事な手のひら返しからの「女の恋は上書き保存」
みんな、強いというか、個がハッキリしているというか。
それでも、一途にあたるを追うラムの姿勢は好きだったし、なんだかんだ言いつつ後ろを気にするあたるも好きだった。
叶わぬ想い知りつつも、いや、判るからこそ苦悩するメガネも好きだった。
そういう「部分」は好きだった。
でも、それだけで、普通だった少年をヲタクの暗黒面に堕とせるだろうか?
続く
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