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2020年02月01日22:36

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ビゼー: 歌劇「カルメン」(4幕のオペラ・コミーク)

原作: プロスペル・メリメ
台本: アンリ・メイヤック/リュドヴィック・アレヴィ
作曲: ジョルジョ・ビゼー

演出: 田尾下 哲
装置・衣装: マドリン・ボイド
照明: 喜多村 貴
振付: キミホ・ハルバート

カルメン: アグンダ・クラエワ(Ms)
ドン・ホセ: 城 宏憲(Tn)
エスカミーリョ: 与那城 敬(Br)
ミカエラ: 憙目 真木子(Sp)
フラスキータ: 青木 エマ(Sp)
メルセデス: 富岡 明子(Ms)
モラレス: 桝 貴志(Br)
スニガ: 大塚 博章(Bs)
ダンカイロ: 加藤 宏隆(B-Br)
レメンダート: 村上 公太(Tn)

管弦楽:札幌交響楽団(カスタネット 日本カスタネット協会会長 真貝裕司)
合唱:二期会合唱団,札幌文化芸術劇場カルメン合唱団(第4幕)
児童合唱:HBC少年少女合唱団
指揮:エリアス・グランディ

2020年1月26日(日),14:00開演,札幌文化芸術劇場


オペラは金食い虫だ。だが,いつも十分な資金を調達できるとは限らない。そんなとき,どうするのか。金の代わりにアイディアで勝負することがある。つまり,時代設定や状況設定などオペラの解釈に変更を加えて,その目新しさで資金不足をカバーしようと試みる。でも,その場合,よほど力量のある演出家を起用しない限り,そのプロダクションは悲惨な結果を招くことになりかねない。今回の「カルメン」は,この無残な結果を招いてしまった典型だ。

このプロダクションが超緊縮予算であることは一目瞭然。舞台美術がそのことを端的に物語っている。ステージで使われているのは,阿波踊りの会場設営に使われるような鉄パイプで組み上げた階段状の観覧席,あとは移動式の鉄柵やパイプ椅子など。このような道具立てで,ニューヨークの高級クラブ「ジプシー・ローズ」のバーレスクの場面(第1幕),ショー「カルメン」を興行中のブロードウェイの劇場(第2幕),ドサ周りのサーカス(第3幕),そしてアカデミー賞授賞式のレッド・カーペット(第4幕)を表現しようとした。しかし,安物のキッチュとしか映らず,豪華なオペラの対極にある安っぽい世界をステージ上に再現しただけ。また,予算が不足しているにもかかわらず,日本語の字幕に加え,英語字幕まで付けたのは,一体どうして。英語字幕を必要としている観客が大挙して押しかけるとでも勘違いしたのか。

それに輪をかけて,オペラの読み替えがお粗末だ。オペラの展開と演出の流れとのすれ違いが多く,両者が噛み合っていないのである。このプロダクションでは,オペラの舞台を19世紀のスペインから21世紀のアメリカ,ショービジネスの本場へと移す。そのアイディア自体を否定したい訳ではない。だが,ステージを観ている限りでは,演出家の意図が全くと言っていいほど伝わって来ない。何を狙ってこのような読み替えを行っているのか不明なばかりか,読み替えられたシチュエーションが何なのかさえ分からず,フラストレーションが募るばかり。これほど腹立たしいオペラを観るのは初めてだ。

そもそも,オペラの演出はその演目の隠れた側面を顕在化させたり,現実の時代状況における作品のアクチュアリティに焦点を当てるなどして,観客にオペラの意味(演出家の解釈)を開示して見せる役割を担う。それが話の筋を混乱させ,観客に強い違和感を抱かせるなどもってのほかで,逆効果以外の何物でもない。

会場で配られた小冊子に沿って,このプロダクションの流れを整理すると以下のようになる。カルメンはクラブ「ジプシー・ローズ」に雇われたスターを夢見る駆け出しのタレント,ホセは田舎出の警察官,ミカエラはミュージカルスターの卵という設定。クラブを経営するマフィアは警察と通じていて,スニガは劇場の運営を牛耳っている。クラブ内の喧嘩が原因でカルメンは逮捕される(第1幕)。カルメンはスニガに抜擢されブロードウェイ・ミュージカル「カルメン」に主演するが,ホセの存在がスニガの逆鱗に触れ,ショービジネスの世界から追放される(第2幕)。カルメンは地方のみすぼらしいサーカスに流れ着くが,そこで大物プロデューサー,エスカミーリョにスカウトされハリウッドへと向かうことに。そこへ,ミュージカルスターとなったミカエラがホセを訪ねてきて,ホセを伴い危篤の母の元へ戻るよう懇願する(第3幕)。映画スターとして成功したカルメンはエスカミーリョとともにアカデミー賞授賞式のレッドカーペットに登場する。そこで悲劇が起こる(第4幕)。だが,ステージを観ているだけでは,このストーリーの読み替えは分からない。そればかりか,その意味不明のプロダクションと音楽上の筋書きとが各所で齟齬を来す。

独唱,合唱,管弦楽,指揮者などの演奏者も安上がりで済まそうというプロデュースする側の魂胆が透けて見える。感心したのは,第1幕で兵士(警官)の交代を囃し立てる児童合唱の弾んだ楽しげな演技と歌,そして,第4幕冒頭の間奏曲におけるこれまでに聴いた最高のカスタネットだけ。アグンダ・クラエワのカルメンは水準に達する歌唱だったものの,そのほかの独唱陣はフランス語の歌詞や台詞で精一杯で,四苦八苦しつつただ表面をなぞるだけの平板な歌唱に終始。とりわけ,ミカエラは歌になっておらず聴くに耐えない。指揮者のエリアス・グランディは,最後までオーケストラからビゼーの歌劇にふさわしい響きを引き出すことができなかった。日差しが降り注ぐ南欧の「カルメン」ではなく,東欧や北欧の寒々として濃霧に燻んだ「カルメン」になってしまった。札響は指揮者の指示どおりに演奏したのだろうが,シンフォニー・オーケストラの殻を破ることができず,オペラの伴奏からは程遠い。

こうしたことの結果,これまで観たオペラのなかで最も貧弱な公演に成り果てていた。オペラの上演に接する機会が少ない観客が,本来エキサイティングなはずのオペラがこの程度のつまらないジャンルだと誤解することを最も恐れる。新しい劇場がオープンして,年に何本かのオペラを観ることができる環境が整ったにもかかわらず,柿落としの時の勢いに水を差すことになったのではなかろうか。事実,昨年の「トゥーランドット」と同じく,チケットは完売とはならず,幕が降りた後の拍手には熱気どころか,戸惑いが入り混じる力のない拍手。明らかに勢いは失速した。

このお粗末な「カルメン」でその失速がさらに悪化することが懸念される。こうなった一番の要因は十分な予算を注ぎ込まなかったことだが,奇抜なだけの思い付きを未消化のままステージに載せてしまった演出家の起用が一番罪深い。この「カルメン」は,二期会,神奈川県民ホール,愛知県芸術劇場,札幌文化芸術劇場,神奈川フィルハーモニー管弦楽団,名古屋フィルハーモニー交響楽団,札幌交響楽団の共同制作であるが,予算と演出家の起用に関して失敗であったことを率直に認め,二度と同じ過ちを繰り返さないよう真摯に反省すべきだろう。さもなくば,今後も客に不評なオペラを共同制作し続けることになり,この共同制作の評判は地を這うことになるだろう。1月は演奏会が少ないので,このオペラを観に行くことにしたのだが,その判断は大間違いであった。そして,今後,この「才能豊かな」演出家がプロデュースした公演を二度と観ることはないだろう。
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