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2026年08月28日04:58

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意識の仕組み(227)手放す(108)プライドその42

あなたは、日本国憲法を読んで、どのような感想をお持ちでしょうか?

日本国憲法第十三条の「個人として尊重される。生命、自由、及び幸福の追求に対する国民の権利」という『自然権』を実践する為の健全な倫理道徳観念と精神性の基準は?

私に言わせれば「生活保護を拒否され餓死者が出て、どこが生命の権利?」「SNSの規制はあからさまなのに、どこが自由の権利?」「世界一の重税により働きバチにならざるを得ず、どこが幸福の追求の権利?」といったように、私達の実生活において、憲法違反はいくらでも起きています。

アメリカの独立宣言(710)と憲法(705)は、普遍真理に基づくことを宣言しています。

「Laws of Nature and of Nature's God entitle them /自然と神の本質から成る法は、それら(13州の政治的紐帯など)に権利を与えるものである」

「We hold these Truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness. /我々は、全人類が等しく創造され、人類の明白に奪われることのないもの、すなわちあまねく人々には命があり、その人生、自由と、幸福の追求を、人々の間で協力して行う権利を、創造主により授けられているという、自明であるそれらの『真理』を保持する」

アメリカの社会規範としての健全な倫理道徳観念と精神性について、神により遣わされたイエス・キリストの教えを土台にした上で、法の順守を誰もが実践出来れば、DSに支配されたような問題など決して起きなかったはずです。しかしDSは、これを無視し続けました。

日本の場合は、例えば「お天道さまが見ている」という共通認識があるため、それに基づくなら、誰もが「嘘をつくこと」、「盗むこと」、「公金を中抜きし懐に入れる」ことや、「仕事もしない天下り」をすることなど思いもつかないことです。「神(天)が我々を見ている」と憲法に明記出来ないという、あまりにも日本の伝統的精神を無視し、まったく土台のない、ひどすぎる日本国憲法・・・。

この問題を明日も論じます。

「私達の見解について、謙虚さが必要とされる理由のひとつは、何か上辺だけの検討の習慣が、次第に極めて酷くなり始め、私達は本当に酷い状態になるなら、しばしば見解は全く異なったものとなるため、私達の意見は変わる理由になります。勿論これは、可能性があることについて、空想の産物を元に約束をする政治家への失望です。しかし政治家が権力を手に入れると、問題は自分の考えていたものと全く異なると分かるでしょう。その問題は、はるかにとても複雑です。実際この状況は、社会における数多の権力行使による結果であり、当然の代償です。政治家は、私達と本当に約束出来るすべては、各々の問題が極めて悪くなると、何とかよくしようとするために可能な限りの判断を働かせようとします。」
(『Letting Go: The Pathway to Surrender』151頁より)

日本の各省庁に勤務する国家公務員の数は、約59万人です。実に肥大化し、それぞれが権力を行使している現状で、例えば「神(天)が我々を見ている」と憲法に明記されていないなら、プライドのぶつかり合いによって、どのような混乱が起きているのか、誰もが『カオス』状態にあると想像できるはずです。

田中真紀子は「財務省は伏魔殿のようだ」との発言は、まさにその通りでしょう。しかし片山さつき大臣は、それを見事に操縦しています。日本の救世主のひとりであることは、疑う余地もないでしょう。



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