あなたは、学校の授業で『創造主』の説明を受けたといった記憶をお持ちでしょうか?
それは、例えば福沢諭吉の『学問のすすめ』の冒頭のことば「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」をインスパイアされたオリジナについて、学校の先生から教わった、ご経験をお持ちでしょうか?
私は、小学校から大学を卒業するまで、いわゆる『神』について、学校の先生の口から一度も聞いたことありません。
それでも私は幼稚園が、カトリック系であったため、シスターに従い、毎日神様に祈りを捧げていました。
また、双樹会という慶應義塾に合格することに特化した塾に私は通っていて、サマースクールで夕食の前には毎日小林先生の説教の後、神に日々の食物への感謝の祈りを捧げていたものでした。
そのような習慣から、私は神に祈りを捧げるということに抵抗なく、ルーチン化していたものです。
ただ、神社での「合格祈願」や「家内安全」には違和感を持ち続けていたものの、ホーキンズ博士の著作と出会い、その理由がはっきりしました。
簡単に言えば、利己的な祈りに私は違和感をもっていたのであり、その際にエンドルフィンの分泌を伴っていないからですね。
ゆえに『人類の最高善』にかかわる利他的な、言い換えると人類全体へ愛を表明する形式の祈りを捧げるなら、人は誰であれエンドルフィンに満たされるため、祈りは心地よいものになる訳です。
そういう訳で、座禅や、瞑想も、エンドルフィンを分泌させるレベルのものでなければ、意味はありません。
毎朝『般若心経』を唱える際も、エンドルフィンを分泌させるレベルで詠唱せねば、意味はありません。
「お天道様に恥ずかしくない生き方」という精神の真意を、大人は子に正確に教えるべき。
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