過去の新興宗教では、教祖が亡くなると教団が分裂し、別の宗教法人がたくさんできる。
■旧統一教会の解散求め声明=弁護士グループが集会―東京
(時事通信社 - 09月16日 21:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=7114169
色々な問題があるのだが「解散」では、あまり意味がないと思う。
宗教法人は、土地や建物も含め、莫大な資産を保有している。
教祖が亡くなると、その資産に群がる教祖の親族で分裂してしまうことが
よくある。
解散したら、信者の居場所が無くなるので、
解散後にそのまま幹部を中心に人が集まり、
教義は修正される場合もあるが、お金の流れや組織の仕組み、
やり方は、ノウハウは受け継がれてしまうのだ。
なので、幹部ごとに分裂してしまうこともある。
そもそも、先祖供養や終末思想を信じてきた人達なので、
明日から「やめなさい」だけでは、元に戻るだけ。
かといって、矯正施設で教育では、どっかの国と同じになってしまう。
別の視点からの対策が必要かも知れない。
法律で制限するのは難しく、社会規範(ルールやマナーなども含む)の
範囲なのだが、今回の場合は公序良俗に食い込んでいる。
�〆盪挫畚�に反するもの(献金など)
�⇔冤�的秩序に反するもの(恐怖による支配)
��自由・人権を侵害するもの(結婚など)
ネズミ講や博打と同じように思えるが、信者はこれを認識していない。
いくら宗教の自由と言えども、犯罪はダメなはず。
オウムで難しかったのは、犯罪でも正義なら良い。
といったところだろうか。
暴力団の場合は、悪を自覚しているが、宗教は悪を認識できない。
実際に警察に相談すると、厄介な案件として
1.宗教団体
2.右翼団体
3.暴力団
の順になるようだ。宗教団体は「自分たちが正しい、社会が間違っている」
という認識のため、警察も扱いに困っているとのことだ。
右翼団体も正義なので、正義がいかに難しいかわかる。
善悪の判断が異なっているので、社会に適応できず、
教団に戻ってしまうケースが多いのだ。
これを低次元にすると「個人の感想」も似ている。
科学的な根拠も無いのに「個人の感想」を信じてしまう。
この個人の感想を信じた人の集まりが「宗教」ではないだろうか。
「解散」で個人の感想を変えることは難しいということだ。
個人の感想を変えるには、どうしたらよいか?
一番簡単なのは「嘘でした」と教団が認めて解散すること。
過去に例は無いが「信仰に効果はありません、気分が楽になる場合があります」
と明示するとかかなぁ・・・
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