この間、Kバレエの新作「蝶々夫人」を見たあとで、今度は大元のオベラを見ることができて、大変興味深く鑑賞できました。
オペラ「蝶々夫人」を見るのは初めてではなく、新国立劇場で2度ほど見ています。
でも、その時の感想は、蝶々夫人が痛々しい、ではなく、痛くて、見ていてつらいときがありました。
痛いというのは、彼女が、ピンカートンとの結婚を、正式な結婚と思い込んでいること、ピンカートンと結婚したこととキリスト教に改宗したことで、自分や自分の家まわりはあたかもアメリカ領土で、自分は親戚を含む周りの日本人とはもはや別格かのように思い込んでみえたいこと、帰国したピンカートンに3年もほっとかれても、捨てられた現実を見ないこと、などから、蝶々夫人さん、痛い〜と思って見ていたことがあったのです。
でも、たぶんその後に宮崎あおいさん主演の映画を見たこと、そしてこの間のバレエ、そしてなによりも、今回の宮本亜門さんの演出で、まるきり違って見えました。
もはや蝶々夫人は、痛くも、痛々しくもありませんでした。
むしろピンカートンの方が痛々しかったくらいです。
そして、多くの日本人にとっても、この演出の方がいいと思うでしょう。
以下は、ねたばれもあるので、要注意。
今回の新演出では、30年後、ピンカートンが病床で死にかけており、引き取った蝶々夫人の息子に、母親とのことを告白する手紙を渡すところから始まりました。
そして、大人になった蝶々夫人の息子が、回想シーンとして再現された蝶々夫人とピンカートンのその当時を、まるでタイムスリップしたみたいに、ずっと横で見ているのです。
ピンカートンと結婚したときの蝶々夫人は15才、自殺したのは18才、現在の息子は30才あまり。自分のいまの年齢の半分の母親のひたむきな生き様を、どんな思いで見ていたか。
死に際のピンカートンは、蝶々夫人にしたことをずっと後悔していたと告白します。
そしてラストは、ピンカートンは息を引き取り、蝶々夫人が迎えにくるのです。いわば蝶々夫人の愛は最後には報われたことになります。
そのラストまでいかなくても、もはや私には、蝶々夫人は痛くは見えませんでした。
痛々しさはあったけれど、そのひたむきさは、肯定的に見られました。
ほんとにすばらしかったです。期待以上でした!
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