【プログラム】
ヴォーン=ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲 -2つの弦楽オーケストラのための
エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調 op.85(ヴィオラ版)
*****休 憩*****
ウォルトン:交響曲 第1番 変ロ長調
(アンコール)
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番から「サラバンド」(ヴィオラ独奏)
今井 信子(ヴィオラ独奏)
札幌交響楽団(管弦楽)
尾高 忠明(指揮)
2018年8月25日(土),14:00開演,札幌コンサートホール
札響の8月定期は,オール・イギリス音楽。長年,BBCウェールズ管弦楽団の首席指揮者をつとめた尾高忠明の意向が強く働いた結果だろう。エルガーのチェロ協奏曲は,今井信子を独奏者に迎えてヴィオラ版を取り上げた。イギリス音楽はどちらかというと苦手な方だが,ヴァラエティにとんだ楽曲を定期演奏会のプログラムに取り入れるのは賛成だ。
エルガーの曲以外は,2曲とも聴いたことがない作品。演奏会の前には予習をするというポリシーを放棄して,今回は手抜きをした。ヴォーン=ウィリアムズとウォルトンの曲を聴くために,大枚を叩いてCDを入手する気持ちにならなかった。この夏の蒸し暑さのせいで,意欲が減退していたからだろう。さて,ぶっつけ本番のギャンブルが,吉と出るか凶と出るか。
ヴォーン=ウィリアムズ(1872ー1958)はイギリスの伝統に根ざした音楽を志向した作曲家で,民謡や古謡を自ら集取し,チューダー朝(15c末ー17c初頭)の教会音楽に関心を寄せた。トマス・タリス(1505頃ー1585)は王室礼拝堂に所属した音楽家で,「タリスの主題による幻想曲」(1910)の主題は,「大主教パーカーの詩篇集」の第3曲から取られている。
この作品は2群の弦楽合奏と独奏のために書かれ,第2群は各セクション2名(コントラバスは1名)で構成され,独奏は第1群の首席奏者が兼ねる。この日,第2群の9人は舞台下手の後方に陣取り,アンティフォナ(交唱)のような効果をねらう。曲が始まって間もなく,ヴァイオリン,ヴィオラ,チェロに主題が現れ,その主題を展開しつつ各セクションの響きが重層的に積み重なってゆく。
お互い気心の知れあった尾高忠明と札響は,弦楽パートの澄み切った美しさと緻密なアンサンブルを生かして綺麗に曲を仕上げていた。
老境に差し掛かったエルガー(1857ー1934)がチェロ協奏曲を完成させたのが1919年。そのさらに10年後,ヴィオラ奏者のライオネル・ターティスがヴィオラ用にこの曲を編曲する。ターティスがピアノ伴奏で演奏するヴィオラ版を聴いたエルガーは,出版社にその独奏譜を出版するよう勧めた。ヴィオラ版の管弦楽パートはチェロ版と同じ。
ヴィオラ版を聴くのはこれが初めてだが,チェロ版よりも独奏パートが引き締まっているうえ,輪郭がより明瞭なこともあいまって,好印象を持った。その好印象の大半は今井信子の音楽性ゆえだろう。無理に歌わせるような奏法は避け,曲線よりは直線を思わせるフレージングであるが,演奏の説得力は強力で今井信子の世界に引き寄せられる。エルガーのチェロ協奏曲を聴いたというより,今井信子の独奏を聴いたという印象が強烈に残っている。ソリストをこれほどまでに際立たせる演奏をやってのけたオーケストラや指揮者も見事である。尾高忠明のイギリス音楽に対する深い造詣と指揮者とオーケストラの強い信頼関係の成せる技だ。
ウォルトン(1902ー1983)は正規の音楽教育を一切受けておらず,作曲はほぼ独学で身につけたという。オックスフォード大学在学中に,ドビュッシー,ラヴェル,ストラヴィンスキー,プロコフィエフなど当時最先端をゆく音楽に耽溺し,「春の祭典」は夢中になってピアノで弾いたという。
「交響曲第1番」(1935)には,ウォルトンのこのような個性が全面的に刻印されている。この曲もベートーヴェンのような「苦悩をとおして歓喜へ」というストーリーが底流にながれてはいるものの,それを表現する語法はドビュッシー,ラヴェル,ストラヴィンスキー,プロコフィエフなどの前衛作曲家から示唆を受けたテクニックなどが駆使されている。ウォルトンが咀嚼し吸収する過程で耳に馴染みやすくなった側面もあるが,より先鋭的な要素が付け加えられた側面も併せ持っている。それと同時に両大戦の戦間期に書かれたこの作品からは,この時代の圧倒的なエネルギーを背景に,当時の人々が抱いていた自暴自棄の狂騒や漠とした底なしの不安さえきこえてくるようだ。スペイン内戦や第二次世界大戦へ突入する不穏な空気を音楽で表現したとみることもできるだろう。
マーラーの交響曲の中では第7番に相当するようなエルガーの「交響曲第1番」も,尾高と札響が強い絆で結ばれていることを実感させる演奏だった。指揮者の考えをオーケストラが理解し,それを音に変える。両者はこうしたことを自然に行える間柄である。
ところで,予習なしに本番に臨むという賭けの結果はどうだったのか。率直なところ,やはり準備をしてから聴くのが望ましいのは間違いない。だが,CDを買って,それを聴くのに時間や集中力を使うには,やはり躊躇いを覚える。ブリテンのオペラを除くと,イギリス音楽にそうした資源を投入する気持ちにはなれない。
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