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2017年11月25日22:50

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ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

【プログラム】
 1 メンデルスゾーン: ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64
         ***** 休 憩 *****
 2 ブルックナー: 交響曲第7番 ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)

(アンコール)
 J.S.バッハ:”無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番BWV.1006ホ長調”より
                    第3曲「ガボット」(ヴァイオリン独奏)

 レオニダス・カヴァコス(ヴァイオリン)
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
 ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)

2017年11月7日(火),19:00開演,札幌コンサートホール


指揮者の持ち味が色濃く滲み出たコンサートだったという印象が強い。無知や不勉強を晒すようで恥ずかしいが,この演奏会を聴くまで,マエストロは名前から判断して,ドイツ人だと決めつけていた。だが,演奏会のチラシを見て,スウェーデン人の両親のもとアメリカに生まれたことを知って驚く。マルケヴィッチやバーンスタインに師事したともある。こうしたマエストロの背景がわかると,この日の演奏のあれこれについて納得できることが多くある。ちなみに,ブロムシュテットが指揮するコンサートを聴くのは,今回が初めて(のはず)。

この日のプログラムは,メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とブルックナーの交響曲第7番で,いずれもゲヴァントハウス管が初演した作品。この選曲からも,マエストロの人柄がうかがえるように思う。

ヴァイオリン・コンチェルトでソロを弾くのはレオニダス・カヴァコス。1967年,アテネ生まれのヴァイオリニスト。彼の名前は知っていたが,ステージはおろかCDさえ聴いたことのない全く未知の演奏家である。

この日の演奏を聴く限り,質実剛健,堅牢な構成力を誇る演奏家のようだ。レオニダス・カヴァコスという名前を伏せて聴けば,ドイツのヴァイオリニストと間違えることはほぼ確実。まず,しっかりとした枠組みを整え,そのフレームの中を,これまた堅実なテクニックを駆使して,明るく輝かしい音色の音楽で満たしてゆく実直なタイプのアーティストである。惜しむらくは,メンデルスゾーンらしい軽快さが不足しているようにきこえること。そして,少し前に聴いたギル・シャハムのような,意表を突く新鮮味が足りない。

ブロムシュテットとゲヴァントハウス管は,カヴァコスの質実剛健なコンチェルトを全面的にサポートする。このコンビにとって,こうしたスタイルでメンデルスゾーンを演奏することはお手の物といわんばかり。それでいて,ソリストの演奏を邪魔するような気配は皆無。この演奏を聴いていると,メンデルスゾーンが果たしてどのようなヴァイオリン協奏曲をイメージしていたのか興味が湧いてくる。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲がやや武骨な印象を与える演奏だったとすれば,ブルックナーの交響曲第7番は,武骨さに加えて徹底的に歌わせたことが印象的。ブルックナーの交響曲はオルガン的な響きが特徴であるとされる。それが音の横の連なりのメロディー以上に,音の縦の積み重ねであるハーモニーを重視する音楽を意味するとするなら,ブロムシュテットとゲヴァントハウス管のブルックナーはイタリア音楽を想起させる旋律重視の演奏だった。マエストロは「美しく歌うこと」がブルックナーの交響曲の本質だと捉えているのだろう。主旋律を浮かび上がらせ,それをレガートでいかに美しく表現するかに的を絞る。主旋律以外のパートは,それが美しくきこえるようメロディー・ラインをいかに支えるかだけを念頭に演奏する徹底ぶり。

ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管によるブルックナーのもう一つの特徴は,アインザッツを揃えることにあまりこだわらないことだ。各パートの入りが多少ずれていても一向に気にする様子はなく,オーケストラにとってアインザッツが不揃いなことはごく自然なことだと言わんばかり。たしかに,縦の線を揃えることにことさら気を使う最近の風潮は不健全といえば不健全なのかも。もっとおおらかに演奏の勢いを損なわない演奏が自然だという見方もできる。その意味では,古き良きヨーロッパの伝統が息づいているとも考えられる。

とはいえ,古色蒼然たるブルックナーだったかといえば,必ずしもそうとは限らない。ある独特の色彩感に彩られたブルックナーだったからだ。そして,その色彩感はまぎれもなくドイツ特有の色彩感である。ドイツ表現主義絵画の色使いによく似ているように感じた。原色を基調とした色使いでありながら,独特の陰りや憂いが混じり合っている。頽廃の匂いのする一種の妖しさが漂っているようでもある。美しいブルックナーの雰囲気を濃縮した結果生まれた妖しさとでもいうべきだろうか。ブルックナーよりもマーラーの世界に近い。ゲヴァントハウス管が本来持っている色彩感をブロムシュテットが引出す際に,何らかの理由で付け加えられた頽廃的な濃厚さのように思う。もしかすると,アメリカで生活するヨーロッパ文化圏に起源を持つ人が,ドイツロマン派の音楽を表現するときに付け加えがちな味わいなのかもしれない。

ブルックナーの交響曲の旋律を際立たせる,あるいはブルックナーの作品に独特の色彩感を加えるというのは,最新の流儀とは言い難い。そしてこの2つの要素はヨーロッパからアメリカへ渡り,さらにもう一度ヨーロッパに還流する過程で付け加わったもののような感じがする。19世紀末から20世紀初頭にかけてのロマンチシズムがアメリカへ輸入され,そこである種の変容を遂げたものが,ブロムシュテットによって表現されたと見るのは大胆すぎるだろうか。

もう1点,演奏そのものとは直接関係はないが,この日,主流を占めていたのは普段と違う客層だった。ホールへ入った瞬間,その雰囲気はいつもとまるで異なっていた。客席はほとんどざわついていおらず,大半の聴衆が開演を静かに待っている。また,平均年齢も若い。普段は自分の部屋で一心不乱にCDを聴いているような音楽付きの人たちではないだろうか。ブロムシュテットとゲヴァントハウス管には,こういう層をホールへ連れてくる力があるようだ。水準の高い本格的な演奏会を主催する札幌コンサートホールの事業で,この日のようにチケットが完売するケースはめずらしい。北海道に2,000人近くもこういう聴衆がいることに驚いた。ホールにとって,こういう聴衆はありがたい存在だろう。
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