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2017年11月09日13:17

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暁烏敏の�狄申,妨柔言議裝椶箸いΔ里�その意味である�瓩箸いΩ斥佞�妙に気になっている

「日本国というのは理想的である。闇相場のあるのは日本国民が天皇の御心を受けないからで、臣民の自覚がないからである。空想の世界、迷の世界で現実が出来ている。この迷の世界から真の世界に到らしめるのが祓であり、教化である。日本国民を神国に覚醒せしめるのが教化である。迷の世界は真の世界ではなく迷界である。迷を醒ますことを国土的に表現すれば此の世を捨てて彼土に生きることである。国民教化は往生させることである。国民教育は天照大神のときに完成されている。吾々はその浄土に往生するのである。真宗に現生正定聚というのがその意味である。」

上記は、中島岳志著『親鸞と日本主義』の「第五章戦争と念仏―真宗大谷派の戦時教学」のなかに出てくる、暁烏敏の言葉である。暁烏敏は真宗大谷派の代表的な僧侶で念仏者、そして清沢満之の弟子でもある。

1941年2月13日から15日の三日間、ここに真宗大谷派の重鎮が集まり、「真宗教学懇親会」が開催され、上記の暁烏敏の発言はその「真宗教学懇親会」での発言であると、中島岳志氏は書いている。

この暁烏敏が書いた「歎異抄講義」は歎異抄の解説書としては代表的な一冊であり、わたしも学生時代に読んだ覚えがある。またわたしが大谷大学で一般最初に�狹�学�瓩鮟�った暁烏哲夫先生のこの暁烏敏の婿であり、清沢満之の直系の孫でもあった。

しかしわたしにはここでの暁烏敏の�狄申,妨柔言議裝椶箸いΔ里�その意味である�瓩箸いΩ斥佞�妙に気になっている。�狎議裝椨瓩箸蓮∈甍�深重・煩悩熾盛なる凡夫であるわたしたちが弥陀の念仏にであることによって阿弥陀如来がこの現生において浄土への往生が約束してくれるということである。この�狎議裝椨瓩��犖柔険�生論�瓩砲弔覆�っていると、大谷大学名誉教授(仏教学)である小谷信千代師は指摘している。そしてその�犖柔険�生論�瓩覆襪發里論饗�満之以降の�犇畭絛騎忰瓩砲茲辰鴇Г┐蕕譴襪茲Δ砲覆辰燭箸い錣譴討い襪里任△襦�

もしそうであるのならば、そもそも真宗における往生とはいかなることなのか、つまり親鸞が考えた往生とはいかなるものであり、それがいかにして清沢満之以降の�犇畭絛騎忰瓩砲茲辰騰犂岼磴辰寝鮗甅瓩�なされるようになったのかという疑問がわたしのなかに湧き上がってくるのである。

わたしは、小谷信千代著『親鸞の還相回向論』を読んで図らずも�犇畭絛騎悗砲�ける現生往生論�瓩量簑蠹澄△修發修眇二造聾柔険�生など唱えていなかったという衝撃的な指摘を読むに至った。では、そもそも親鸞は往生についてどのように論じていたのか。それはもはや真宗学という専門分野を離れて、広く仏教を学ぶもの、いや真宗の念仏者が確認しておかねばならないことだと考えるのである。その意味からも小谷信千代著『親鸞の還相回向論』の前作である『真宗における往生論』を読むしかないように思える。

親鸞の往生論には、世親、曇鸞の浄土教の教えを受けての話になる。しかしわたしは世親も曇鸞も何も知らない。そんな人間が小谷信千代師の『真宗における往生論』などを本当に読んで理解ができるのかという疑問が自分のなかにあるのであるが、中島岳志氏の『親鸞と日本主義』という著作は、戦争と真宗、戦争と念仏ということを強く問いかけているように思えるのだ。

�牋�国心�瓩箸蓮⊆�分の祖国の過去の栄光たる歴史のみを誇らしく語るのではなく、むしろ祖国の過去の過ちから何を学び、そして再び同じ過ちを犯さないということではないかと考えている。つまり�犲�分は正しい�瓩箸いξ�場にしたたないということだと中島岳志氏は『親鸞と日本主義』という著作を通じてわたしに問うているように思えるのである。

わたしには、暁烏敏の�狄申,妨柔言議裝椶箸いΔ里�その意味である�瓩箸いΩ斥佞�妙に気になっている。それはそもそも真宗における往生とは何か、救いとは何かという問いであるように思えるのである。
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