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2017年10月14日18:13

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シャイー&ルツェルン祝祭管弦楽団

第1日
【プログラム】
ベートーヴェン: 劇音楽「エグモント」op.84序曲
ベートーヴェン: 交響曲 第8番 へ長調 op.93
   〜〜〜〜〜 休 憩 〜〜〜〜〜
ストラヴィンスキー: バレエ音楽「春の祭典」
(アンコール)
ストラヴィンスキー: バレエ音楽”火の鳥”から「カッチェイ王の魔の踊り」

2017年10月6日(金),19:00開演,サントリーホール

第2日
【プログラム】
R.シュトラウス: 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」op.30
   〜〜〜〜〜 休 憩 〜〜〜〜〜
R.シュトラウス: 交響詩「死と変容」op.24
R.シュトラウス: 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」op.28
(アンコール)
R.シュトラウス: 楽劇”サロメ”より「7つのヴェールの踊り」

2017年10月7日(土),17:00開演,サントリーホール


先週の後半,改修を終えたサントリーホールで,11年ぶりに来日したルツェルン祝祭管弦楽団(LFO)を聴いた。確かにスーパー・オーケストラの名に恥じない陣容と技量である。例えば,チェロの首席はハーゲン・カルテットのクレメンス・ハーゲン,そして妹のヴェロニカ・ハーゲンがヴィオラの第3プルトで弾くという豪華さ。他にも,ヨーロッパで活動するソリストやオーケストラの主要メンバーがずらりと顔を揃える。

LFOは言うなればランボルギーニやアストンマーチン,フェラーリ級の超高級スポーツカー並みのハイパースペック・オーケストラだろう。エンジンのふき上がり方,高速運転やコーナリング時の安定性,シビアな制動性能など技術的なスペックは超が10個ほどつくほど高性能。もう少し正確にいうと,車のパーツに惜しみなく金をつぎ込んだスポーツカーというべきか。難しいパッセージも,その難所を越えること自体を楽しんでいるかのように,余裕たっぷりに楽々と超えてゆく。アウトバーンのような自動車専用道路はもちろん,石畳の街路や田舎の砂利道も高速で駆け抜ける性能を誇る。

しかし,息を呑むようなテクニック,煌びやかなサウンド,超絶的なテンポ,それが全てという感じがしないでもない。例えば,ベートーヴェンの「エグモント」序曲や交響曲第8番。細かな砂利が敷き詰められた片側一車線の道をスポーツカーの性能を見せびらかすかのように,丘陵地帯のうねった道を砂煙を捲きあげながら猛烈なスピードで駆け抜けてゆく。運転技術も車の性能に劣らず確かである。

だが,あの未舗装の道路をあれほどのスピードで駆け抜ける必要がどこにあるのだろう。オーケストラの演奏に即していうと,ベートーヴェンの音楽は二の次のような速いテンポで演奏する必然性が理解できない。単調な演奏になるのを避けるだけが目的としか取りようのないアクセントの付け方も耳障りだ。ベートーヴェンのような田園地帯を縫うように走る古くからの道を走るときは,明るい陽光に照らされた風景,路面とタイヤのグリップやハンドルを切った時の車体の反応などの手応え味わいながらドライブする方が断然楽しいだろう。アンサンブルやソロのレベルの高さを見せびらかすだけのような,味気ないベートーヴェンにはさほど興味はそそられない。

一方,「春の祭典」はシャイー&LFOのコンビによりふさわしい作品といえそうだ。徹底的に磨き上げられた音,水も漏らさぬアンサンブル,ライブならではの幅広いダイナミックレンジ,このコンビのポテンシャルが全開したかのような「春の祭典」である。プログラムにストラヴィンスキーの作品を入れたのは大正解。このようにすみずみまで磨き上げてしまうと,原始主義の持つ荒々しさが相殺気味になるのが難点といえば難点。それを補って余りあるのは,このコンビのダイナミズムだろう。

ベートーヴェンが田園地帯の田舎道だとすると,ストラヴィンスキーは近代的な大都会を貫く4車線のハイウエーといったところか。最高級スポーツカーには大都市の高速道路が似合う。車線変更を繰り返しながら,車の列を縫うようにして走り抜けるシャイーのドライビング・テクニックも都会のハイウエーで一層の冴えを見せる。シャイーは腕の確かなドライバーだが,あくまでもドライブが好きな都会派のアマチュア・ドライバーで,ラリー・ドライバーでもF1レーサーでもない。猛スピードで車を駆るのは似つかわしくない,そのような印象を与える演奏である。

2日目のオール・R.シュトラウスプログラムも,基本的には「春の祭典」と同じ。3作品の中で最も感心したのは,「ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」。随所に散りばめられたオーケストラ・プレーヤーたちのソロがまぶしいくらい。その音色といい,テクニックといい,メロディーの歌わせ方といい,これ以上贅沢な「ティル」はないというほど,ゴージャス極まりない。傑出した演奏技術に加え極上の愉悦感がたまらない。ここまでR.シュトラウスを演奏する楽しさを表現する演奏は聴いたことなない。これまでイメージの世界だけに存在していた「ティル」が,現実のものとなったように感じる。

その次は「死と変容」だろう。ただ,この陰影の濃い作品には似つかわしくない,弦の官能的な響きに違和感を覚える。ヨーロッパの最高級スポーツカーにとって,この作品の翳りを表現するのは容易ではないだろう。別の言い方をすれば,マエストロがLFOを率いてこの作品の全体像をバランスよく表現するのは苦手だという方がより適切だろう。この日の最初に演奏された「ツァラトゥストラはかく語りき」は退屈だった。R.シュトラウスの交響詩の中でも「ツァラトゥストラ」は苦手な作品であるうえに,この日の演奏はまとまりに欠けているような印象だった。一貫したストーリーというより,バラバラなエピソードの寄せ集めといった印象で,ツァラトゥストラが何を語っているのかさっぱり見当がつかなかった。

ところで,改修を終えたサントリーホールでコンサートを聴くのはこの日が初めて。オーケストラのメンバーがステージに揃って,チューニングが始まった瞬間,以前と比べて響きがライブになったような気がした。もし,それが正しいとするなら,その要因はいくつか考えられる。最初に思いつく要因は,改修に伴って残響が豊かになったこと。あるいは,選りすぐりのメンバーが出す音のクオリティーのせいで豊かなサウンドとして響くため。もう一つ考えられるのは,客の入りが思わしくないため,音が吸収されにくかったこと。おそらく,これら3つの要因が複雑に絡み合った結果だろう。

客の入りに関しては,主催者に同情したくなるほど,客席が空いていた。ステージとオルガンに挟まれた席やステージの真横の二階席など料金の比較的安い席はかなり埋まっていたが,チケット代が張る一階席は半分も埋まっていない状態で,悪くすると三分の一程度の入りだったかもしれない。近頃,有名オーケストラのサントリーホールでの公演は集客が思わしくないような印象を持っているが,この日の客の入り悲惨といってもいいような状況である。

いわゆる奢侈的な消費から多くの人たちが離れていったことを象徴するような光景だった。ヨーロッパのお金持ちが集まるルツェルン音楽祭のオーケストラが,国内の富裕層の社交場のようなサントリーホールでコンサートを開いても見向きもされなくなったのではないだろうか。首都圏の聴衆は,煌びやかなコンサートより,内容の充実した演奏会を選ぶようになった可能性もあるだろう。

もしかすると,このコンサートを主催した音楽事務所がこうした地殻変動をつかみ損ねた結果,このような状況が生じてしまったのかもしれない,などと考えた。そして,深い感銘を与えるような演奏会ではなかったのも事実だ。音楽業界も曲がり角に来ているのだろう。
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