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2017年09月16日18:31

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バッティストーニ・東フィル: ヴェルディ「オテロ」

ヴェルディ:歌劇「オテロ」(演奏会形式)

オテロ: フランチェスコ・アニーレ
デズデーモナ: エレーナ・モシュク
イアーゴ: イヴァン・インヴェラルディ
ロドヴィーゴ: ジョン・ハオ
カッシオ: 高橋 達也
エミーリア: 清水 華澄
ロデリーゴ: 与儀 巧
モンターノ: 斉木 健詞
伝令: タン・ジュンボ
合唱: 新国立劇場合唱団
児童合唱: 世田谷ジュニア合唱団

管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団
指揮・演出: アンドレア・バッティストーニ
映像演出: ライゾマティクスリサーチ


2017年9月10日(日),15:00開演,Bunkamuraオーチャードホール


この公演で注目したのは,指揮者と映像演出。バッティストーニのことは風の便りに聞いていたが,より身近に感じるようになったのは,来年10月にオープンする札幌文化芸術劇場の杮落とし公演で「アイーダ」を振ることが決まってから。一方,ライゾマティクスリサーチ(Rhizomatiks Research)に関して予備知識はゼロだったが,コンピュータ・グラフィックス(CG)を使う演奏会形式の上演でそろそろ画期的な映像が出てきてもいい時期だと兼ねてから考えていたところ,Bunkamuraが主催する公演であれば納得のゆく水準の演出が期待できそうな予感がした。そして,指揮も演出も予想を裏切らない出来だった。

バッティストーニは同世代の指揮者の中で一番の注目株だろう。オペラ指揮者としては群を抜いた存在で,とりわけイタリア・オペラを振らせると,同年代の指揮者では右に出るものはいないのではないだろうか。1987年生まれの30歳そこそこの指揮者が,ヴェルディの最高傑作「オテロ」を振ろうというのだからいい度胸をしている。凡庸な指揮者ならもう少し歳をとって経験を積んでから,とでも言い訳しそうなものだが,素直にいま演奏したいと思う作品を取り上げる姿勢には清々しささえ感じる。

勢いに任せて一気に振ったような「オテロ」は,まさに痛快の一言に尽きる。トスカニーニを生んだイタリアの有望株らしい。「オテロ」にしては眩しいくらいに輝かしく,若さがみなぎる元気のいい演奏だった。陰影の濃やかな内面のドラマが,どこかへ吹き飛んでしまうほど威勢のいい「オテロ」である。しかし,バッティストーニのステージに接すると,そんなことはどうでもいいから好きにさせてやればいいと言いたくなる。彼は生まれついてのアジテーターの資質に恵まれていて,ソリストやコーラス,オーケストラはもちろん,聴衆さえも煽動して,興奮の渦に巻き込んでしまうカリスマ性がある。ただし,シェークスピアの戯曲が持つドラマがないがしろにされた感は否めない。いずれにしても,これから目が離せない指揮者でしょう。

この公演の映像演出を担当したライゾマティクスリサーチは初めて聞く名前だが,新しい映像表現を手がけるエンジニア兼アーティストのグループ名らしい。彼らは仕事の上で必要となった映像の制作のためのソフトウエアやそれを会場で投影するハードウエアを開発するスペシャリストを揃えているとのこと。自分たちが欲しいと考えた映像を妥協を排してオーダーメイドのイメージを作り上げる集団のようだ。

彼らの仕事で最も感心したのは,「オテロ」の内容を実によく把握していることである。十分な時間をかけて物語の展開を消化吸収していることは間違いなさそうだ。そして,ドラマの場面を映像で表現するときの距離の取り方も実にうまい。ストーリーにのめり込み過ぎるでもなく,必要以上に客観視するでもなく,聴衆の視線に立ちつつも程好い距離感でリードするような間合いが絶妙なのである。

オーチャードホールの格子模様,目の粗い網のような波のパターン,砕け散った鏡を思わせる万華鏡のイメージなどいくつかの映像が場面に応じて現れ,それが音楽の流れに応じて変化し消えてゆく。様々なイメージが映し出されるタイミング,それらが姿を変化させる速度,さらにその変容の様子が,ドラマの展開に寸分の狂いもなくフィットしている。それらは情景描写だったり,登場人物の心象風景だったりするのだが,抽象と具象のバランスが巧妙で,説明過剰に陥ったり通り一遍の説明に終わることがない点が卓越している。CGを用いた演出としては,新境地を開いたと言っていいだろう。

主要な登場人物を演じたフランチェスコ・アニーレ(オテロ),エレーナ・モシュク(デズデーモナ),イヴァン・インヴェラルディ(イアーゴ),ジョン・ハオ(ロドヴィーコ)は,傑出しているとはいえないまでも,致命的な欠陥があった訳でもない。小粒ながらも「オテロ」を納得のゆくレベルで上演するための陣容は揃っていたといっていいだろう。スケール感でやや物足りなさがあったものの,デズテーモナを歌ったエレーナ・モシュクは光っていたように思う。健闘していたのはエミーリア役の清水華澄。ソロの場面は多くなかったとはいえ,デズデーモナと肩を並べるかと思うほどのいい歌いぶりだった。

このプロダクションで指揮者の次に感心したのは,コーラスとオーケストラだ。海外のオペラハウスの公演に比べると,若干人数は多めであるものの,合唱の迫力やアンサンブルの水準は一流の歌劇場に大きく水をあけられてはいないようだ。何よりも,オペラの公演に慣れていてツボを押さえた歌い方に好感を持った。同じことはオーケストラにも当てはまる。オーケストラの音色がイタリア・オペラの響きに近づいているところが嬉しい。かなり磨かれた硬質のサウンドで,特に管楽器はこれが日本のオケかというほど巧く手馴れている印象である。第3幕のトランペットのバンダには思わず息を飲む。アゴーギクもツボにはまっていて自然である。オーケストラ・ピットでの経験がものを言っているのだろう。

とはいうものの,純粋培養のような上演だったことも否定できない。イタリアの歌劇場の来日公演であれば,良きにつけ悪しきにつけ夾雑物が入り混じっているのだが,この「オテロ」は異臭成分もない代わりにミネラルも含まれていない,水素と酸素を科学反応させて合成した純粋な水を思わせる上演だった。所詮スコアを読み込んで作り上げたオペラであり,歴史や伝統という隠し味のようなものが抜け落ちている。これは技術的に解決可能な課題ではおそらくないだろう。それぞれの国や歌劇場が長い年月をかけて培った文化なので,現時点では無い物ねだりにしかならないのだろうけれど。

ところで,バッティストーニは今週の後半から札幌に来ていて,来秋に迫った札幌文化芸術劇場のオープンの前祝いとなる,プレコンサートの指揮台にきのう立った。このコンサートについては,この3連休中に書く予定だ。いくつかの興味深い発見がありました。
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