母方の祖母は祖父の生まれた地方都市に隣接する町の出身だった。
曾祖父は酒造販売をメインとした豪商で、
その自治体の高額納税者番付1位を誇る大富豪だったが重大な悩みがあった。
結婚して何年経っても子どもに恵まれなかったのだ。
しかし、家業を継がせるために親戚の男の子を養子にした途端、
曾祖母に子どもができてしまった。
それも1人生んだら弾みがついたように男女併せて8人も。
普通だったら養子縁組を解消して実子に跡を継がせると言いそうだが、
曾祖父は養子にした親戚の子をそのまま跡取りに据え、
自身の血をひく子どもたちには財産のかわりに学歴を与えることにした。
と言う訳で、明治の御世には珍しく息子はもとより娘までも都会に出して大学に通わせた。
男女各1名ずつ勉強よりやりたいことがあると言った子は、
無理に進学はさせず自由にやりたい道に進ませた。
そのうちの1名は わたしを可愛がってくれた吉祥寺に住んでいた大叔母で、
東京で女学校を卒業した後、化粧品メーカーで定年まで経理の仕事をし、
その後も頼まれて70代まで銀座のクラブの帳簿をつけ、
80代になったら認知症のお年寄りの話し相手のボランティアを始め、
自身は97歳までシングルライフを楽しんで大往生というとても格好の良い大叔母だった。
しかし、祖母は彼女を「学歴がない」と毛嫌いしていた。
明治時代に地方都市に生まれた女の子が女学校まででれば「学歴」的には十分だと思うが。
祖母が「学歴」に固執した理由は後でお話しするが、
大叔母も言われっぱなしで黙っている人ではなかったので、
「社会経験がない姉さんは常識がなくて困る」とやり返していたんだけれど……。
ちなみに、祖母はわたしがドールライターなのはたぶん知らなかったと思うが、
大叔母は拙著を購入して「ハイカラな洋服を着たお人形の本」を大事にしていてくれた。
話を戻すが、こうした事情で祖母は子どもの頃から勉強だけしかしなかった。
富豪だった実家ではお手伝いさんが身の回りのこと全てをしてくれたので不自由はなかったが、
おかげで趣味の和裁以外、家事能力はわたしと同じ程度の低空飛行になってしまった。
しかし、どんなに毎日勉強に勤しんでも、
尋常小学校では同級生だったとある高名な作家の妹さんが学年主席で、
祖母は2位にしかなれなくて悔しい思いをした。
でも、その妹さんは身体が弱く、
明治時代の家庭の常として女の子は上級学校には進学させて貰えなかったので、
女学校を経て東京の女子大に進学した祖母は今度こそ自身が1番になろうと心に決めた。
東京の女子大は楽しかったが、
曾祖父は富豪のわりに"ケチ"で仕送りが他の女学生より50銭少なかったため、
初めての都会生活で羽目を外す余裕すらなく必然的に勉強に励むことになった。
そして、あと1年で卒業という年のある日、
「父キトク スグカヘレ」
という電報が届いた。察しの良い方はお分かりと思うが、
これは地元で縁談が持ち上がった祖母を帰郷させるための嘘電報。
騙されて帰郷した祖母は有無を言わせず白無垢を着せられ、
見知らぬ花婿の隣に座って高砂を聞くことになった。
結婚相手は豪農出身の医師と条件的には悪くなかったが、
相手の家が山深い集落にあるのが昨日まで東京で暮らしていた祖母には不服で、
「オラこんな村嫌だ。東京さ戻るだ」
と吉幾三の歌のようなことを考えていた。
第一、隣に座っている花婿が"うらなり瓢箪"みたいで気に入らない。
と言う訳で、結婚式の翌日に実家から連れてきたお手伝いさんに手引きして貰い、
婚家の裏口から逃げ出して、
他家の養女になっていた長姉からお金を借りて東京に逃げ帰ってしまった。
ちなみに曾祖父は十分な学歴を与えたあと、
早世した1名と年下の3名を除き、
半数の子女を他家に養子に出すか別家庭を持たせて自身の戸籍から抜いていた。
その後、迎えに来た兄と一緒にいた祖父と運命的な出会いを遂げ、
プロポーズされたのは前述のとおりだが祖母は「イエス」と即答 。
なにしろ祖父は6尺を超える美丈夫で、
子ども時代から近隣の女の子には評判の「素敵な若殿様」だったので。
ログインしてコメントを確認・投稿する