J.S.バッハ:「マタイ受難曲」BWV244
ハンナ・モリソン(ソプラノ�機�
ロビン・ブレイズ(アルト�機�
ベンヤミン・ブルンス(テノール/エヴァンゲリスト)
クリスティアン・イムラー(バス��/イエス)
松井 亜希(ソプラノ�供�
青木 洋也(アルト��/証人�機�
櫻田 亮(テノール)
賀耒 徹(バス��/ペテロ)
バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱&管弦楽)
鈴木 雅明(指揮)
2017年4月14日(金),18:30開演,東京オペラシティ・コンサートホール
いい演奏会だったと思う。不満はあったものの,とにかく「マタイ受難曲」が人類史上まれにみる音楽遺産であることを納得させる演奏だったからだ。
まず,不満が残る点から先に。海外からのソリストと日本人ソリストとの彼我の差が大き過ぎた。一部を除いて日本人独唱者たちは聴き劣りする。櫻田亮は声に深みがなく,曲の上っ面を撫でただけのような歌い方。出番が少ないのでコンディションを整えるのが難しいことはわからなくもないが,何故かこの日は不調だった。櫻田亮や青木洋也,賀耒徹の3人は似たり寄ったりで,アリアを歌う時は苦しそうで,レチタティーヴォの時は音程をとることに四苦八苦していた。一人気を吐いていたのは,ソプラノの松井亜希だけ。
ベンヤミン・ブルンスのエヴァンゲリストにも違和感をもつ。福音史家にしては歌唱スタイルがオペラティックすぎる。福音史家のレチタティーヴォは淡々としていながらも,深々とした余韻が生まれるはず。だが,テキストをオペラのレチタティーヴォのようなスタイルで歌うので,かなり表面的な朗唱に堕してしまう。オペラ歌手が本業のようなので,その癖が抜けていない。ミスキャストだろう。
一方,ソプラノのハンナ・モリソンは古楽の様式感を踏まえた正統的な歌い方であり,声の質も透明でなおかつ強靭さも兼ね備えている。バッハに限らず古楽を歌うには理想的なソプラノといえる。イエスなどを歌ったバスのクリスティアン・イムラーも,ミンコフスキ,ヘレヴェへ,パロット,マゴワールなど錚々たる音楽家と共演しているだけあって,正確無比かつ共感あふれる歌い振りが印象的だった。アルトのロビン・ブレイズは音程が時折不安定になることがあり,聴き苦しい場面も。調子が万全でなかったのだろうか。
この日の最大の功労者は合唱だったのではないだろうか。練りに練り上げられた自然な歌唱だった。これまで数え切れないほど「マタイ受難曲」を歌ったり,教会カンタータ全曲を歌った経験に裏打ちされた自信が垣間見えるようだ。メンバーひとり一人が自分の流儀で作品にアプローチしながら,それにもかかわらずというか,それだからこそ一糸乱れぬアンサンブルを作り上げるという,逆説的なことを成し遂げていた。そして,第一群と第二群合わせて20数名の少数精鋭だからこそ,そのことが可能になったはず。もちろん,少人数でも迫力に事欠くことはない。
それにひきかえ,オーケストラはわずかに及び腰気味になっていたようにも思う。及び腰というより,安全運転に傾きかけていたという方が正確かもしれない。別にアンサンブルが乱れたわけでも,ヴァイオリンやフルート,オーボエ,ガンバなどのソロにキズがあったわけでもない。メンバー全員が全力で取り組んでいたことは間違いないのだが,ほんの僅かだが歯車がいまひとつ噛み合っていないように感じた。
鈴木雅明も,いつものとおり全身全霊を傾ける精力的な指揮。ただし,彼の情熱が演奏者たち全員をコントロールできていなかったようにも見受けられる。ステージ上の全員が懸命に打ち込んでいることは明白なのだが,声楽の独唱者たちの不調が器楽合奏にも微妙な影を落としていた疑いも拭いきれない。
一時期に比べて,近頃はソリストの水準が全般的に思わしくないような気がする。有名な人気歌手を起用しなくとも,中堅の実力派で陣容を堅めるだけでも,結果に予想外の差が出るのではないか。近頃は人選が若干甘くなっているのだろうか。合唱が大きなウエイトを占める作品であっても,ソリストが演奏全体に与える影響は決して小さくないと思うのだが。
とはいえ,第二部の終盤で,イエスの受難をつうじて神と人類が和解するさまを描くあたりでは,静かな感動がじわりと広がる。バッハの時代でも,聖書を読んだり,教会の壁画を観たりするよりも,「マタイ受難曲」に耳を傾ける方が,イエスの受難の意味を理解する上でより説得力があることを感じさせる。それだけ作品の力が強力だということなのだろう。
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