ありがとう と さようなら を同時に伝えられる都合のいい単語はないだろうか?
親父が亡くなった時 ふと思った。
前夜
詞:小山卓治 曲:小山卓治
この唄が自分の人生の後半を占めるウエートはかなり高い。
父のような男になり、母のような女性を探し、子供達を育てる。
辛い時 苦しい時 卓治の唄は俺の背中を押してくれる
この「前夜」の制作にあたって 最近「この唄に出てくる父さんは遺影の写真ではないか」というコラムを目にした。それは本人のエッセイなのか、ファンの文章なのか 定かではないのだが。
1992.11.21発売の 「花を育てたことがあるかい」はレコード会社がかなり気合いをいれてプロモーションをしてくれた。自分もTOKYOFMで「さよなら恋人」を耳にしている。
前回 話に出た友人の音楽評論家Y も「これは意外といけるんじゃない」なんて 無責任に俺を喜ばせた。
だが この頃は彼の生命線であるライブに光がなかった。当時、レコーディングメンバーに安全地帯のギタリストやレベッカのドラマーなど が参加したぶん ライブのメンバーが弱々しく感じた(失礼)。
キーボードが二人なんて 日もあったな。
話を 親父の葬儀の日に戻したい。
長男である自分が当然 喪主の挨拶を務める事になった。
正直 何を話していいか 解らなかった。
「僕は親父のことが嫌いでした」
なんて 口が裂けても言えない。
自分がギターでも弾ければここで「前夜」でも歌おうかと考えたが、生憎、そんな能力は私には皆無だ。
走り書きみたいなメモに歯の浮くような台詞を並べて それを読み上げその場をやり過ごすつもり で用意した。
お通夜が淡々と進む中、息を切らして、見慣れた顔が何人か入ってくる。
自分は一瞬我が目を疑った。関東から多くのベイスターズファンの友人や草野球のメンバーが平日にも関わらず この場にかけつけてくれたのだ。
この仲間たちの顔ぶれを見て 自分は喪主挨拶の締めにアレンジを加える事を思いついた。お礼と感謝の言葉のあとに 父と最後にみた 高校野球の話を付け加えた。
「いい挨拶だったね」神奈川からきた友人が声をかけてくれた。「君がいたおかげさ」と声でもかけようかと思ったが、その場の空気に合わないと思いそこは黙っていた。
翌年の冬、その友人と奥さんを実家に招待した。そこから話が広がり一ヶ月後には10名以上の団体で沼津の公共の宿一泊 沼津港巡り 体育館でのスポーツ大会 翌日は苺狩りまでした。忘れられない思い出である。
その時 宿泊した宿で 親父の一周忌を行うから 予約してきて 母に頼まれた。
だが それからひと月後、3月11日 大きな地震が日本列島を襲った。
静岡は対して揺れなかったが、東京電力の管轄であった県の東部地方は 停電の対象となってしまった。地震慣れしてない沖縄の親戚の大半が「本土は怖いから行きたくない」と言い出し法事は中止になった。
「生前から 派手な事やお金を使う事を嫌った親父の意思だったのかね」
母がふと呟いた。
あの震災から四年 あの日は息子の中学の卒業式だった。家に帰ったら「おめでとう」と声をかけよう と 朝から思っていたのだが、その日は電車が動かず会社に泊まった。
時間が経つと共に今ではもうあまり報道されなくなった被災地の 知られざる現状もあるのであろう。原発反対のデモの話題もすっかり下火になってしまった。
政治や経済の話が好きで 新聞を隅から隅まで読むのが日課だった親父。
子供達が「たまにはキャッチボールでもしてよ」とせがんでも 読書ばかりしていた親父
煙草もお酒も悪 ギャンブルなんてもっての他 を 教訓としていた親父。
もし 今も元気だったら どんな会話を交わしていただろうか。
さよなら父さん
あなたのような男になれたかな
さよなら父さん
母さんのような女を探せたかな
ありがとう と さようなら を同時に伝えられる都合のいい単語 なんて 俺には必要なかったかもしれない。
Ps 当日 わざわざ 関東から駆けつけてくれた ベイスターズファンのマイミクの皆様
ありがとうございました。 改めてお礼申し上げます。
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