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2008年03月28日22:50

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第1篇 動労、国労の闘争

第1篇 動労、国労の闘争
第1章  マル生粉砕=鉄労解体闘争と強力順法闘争

第1節  佐藤栄作首相、マル生開始を指令
佐藤栄作は、1924年東大法学部卒業後、鉄道省に入省し、46年、鉄道総局長官となり、国鉄の「労働争議を、うまく、さばいた才能を吉田茂首相に見込まれ」(朝日新聞社『現代人物事典』1977年版)、政治家としての出発点となった。この事実は、佐藤栄作が、国鉄をめぐる三大謀略事件、すなわち、下山事件、三鷹事件、松川事件と深く関わっていた事を示している。
佐藤栄作の第1の「子分」が田中角栄首相であり、その「子分」が後藤田正晴副総理(元警察庁長官)である。この潮流が国家権力の謀略を展開してきた政治家の人脈である。佐藤栄作首相が、左翼対策のための莫大な資金を、アメリカのCIAから受け取っていた事が明らかになったごとく、佐藤栄作、田中角栄、後藤田正晴ら国家権力の謀略グループがCIAと深く関わっていた事は言うまでもない。また、佐藤内閣の警察庁長官であった後藤田正晴は、CIAによる、謀略の方法に関する指南を受けていたと考えられる。
酒井一三は「マル生」闘争時の国労の書記長(岩井章派の民同)を務め、1982年副委員長で引退し、85年4月6日、59歳という若さで死去した(有賀宗吉『国鉄民主化への道〜鉄労運動30年の歩み〜』1989年10月、鉄労友愛会議発行、462頁)。酒井は、自らの死期が近い事を悟り、様々な“シガラミ”の中で沈黙を余儀なくされていた「マル生」に関して「まだ語られていない事ども」(酒井一三「マル生こぼれ話―まだ語られていない事どもー」国際労働運動協会・岩井章監修『国際労働運動』1983年11月)を、1983年、以下のごとく、明らかにした。
1969年、佐藤栄作首相の命令によってマル生を開始したのは、磯崎叡国鉄総裁であった。マル生とは「生産性運動」の「生」の字を「○」で囲んで表記されたため、動労、国労によって、マル生と呼ばれるようになったのである。酒井によれば「社会党など野党のなかでも磯崎氏は割合うけが良かった」。磯崎は「国鉄生え抜き」の「高級官僚」であり「営業畑一筋」に歩んできた。
しかし、1969年5月末磯崎の国鉄総裁就任時に「一悶着」あった。国鉄当局は帝国ホテルを予約し、佐藤総理も招いて「壮大な総裁就任パーティー」を「大広間」で開くべく「準備」をした。ところが、予定の日になっても総理の「任命の声」が、かからず、帝国ホテルはキャンセルされた。「辞令」は、約1週間後、発令となったが、佐藤首相は、磯崎・新総裁に対し「労使の癒着を断ち切れ」と厳しく、言いわたした。これが、「マル生開始」のインフォーマルな命令であった。佐藤栄作(吉田、池田、佐藤の各首相、そして、佐藤退陣後の田中角栄と続く、旧自由党の系統、すなわち、保守本流)と対決しつつ、旧民主党系・保守傍流の福田赳夫は、次期総理の座を狙っていた。
福田は「磯崎は野党にばかりいい顔をしている。労働組合にも甘い。そんなことで国鉄再建ができない。総裁として国鉄を彼に任せるなら厳しい態度が必要と佐藤総理に迫った」という。
佐藤首相の子分=田中角栄は、戦争中、国労革同のボスで共産党員の細井宗一(陸軍大尉)の部下(一等兵、上等兵)であり、細井は、民同の富塚三夫と田中角栄のパイプ役を果たした(細井宗一談)。佐藤栄作派の田中角栄と富塚派民同、革同の間には、癒着関係が存在したのである。しかし、国労民同との癒着という点では福田赳夫も同じであった。福田は、福田派労働族が岩井章を中心とする国労民同を育成してきた事を棚に上げて、このような要請を突きつけたのである。こうした、自民党内派閥対立の中で「辞令」を延期され「ようやく国鉄総裁の椅子を占めた磯崎氏にしてみれば、何としても自らの立場を鮮明にする必要に迫られたことは想像に難くない」。
そして、磯崎総裁のマル生の桎梏となったのは、国労出身の総評事務局長・岩井章と深い人間関係を結んできた山口茂夫常務理事であった。山口と岩井は、1996年1月現在でも、年賀状の交換を続けていた(岩井章談)。山口茂夫は「マル生」について「国鉄の再建のためには内部で争うようなことでは成長はとげられない。まず国鉄内の結束こそが第一で、外に向かって一丸となってあたる体制の確立が必要である。そのためには内部で重箱のスミをつつくような職員いじめはやめたらどうかー」と批判し、同席の磯崎総裁は「君は僕にやめろというのか」と激怒し、その場は、山田明吉副総裁の「とりなし」によって治まったというものの、その後、一週間もたたない内に、山口常務理事は、九州に左遷された。「マル生さかり」の1971年初頭のことであった。
山口の転任時、東京駅に彼を見送ったのは「ごく僅か」であり、それらの国鉄エリート官僚の氏名は「即刻、磯崎総裁のもとに報告」され、“ブラックリスト”に明記された。
こうした、磯崎総裁と山口常務理事との対立、山口の左遷については、マル生の立案実行者であった真鍋洋・常務理事兼職員局長(真鍋洋談)および、能力開発課総括・丸山康則(丸山康則談)も認めている。



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