あなたは『幸せ』と『満足』の違いをおわかりでしょうか?
それは『エンドルフィン』と『アドレナリン』の違いと言えますね。
『エンドルフィン』は、利己心と私利私欲を超越し利他的な意志と行動によって分泌されます。他方の『アドレナリン』は表面的に親切であっても、下心が少しでもあれば分泌されます。すなわち純粋な利己心の時にのみ、本物の幸福をあなたは手に入れるということですね。
「
山とは、その功徳の集積のことごとくを挙げて、その名とし、その命となすのである」(『正法眼蔵』第二巻『山水経』講談社学術文庫、22頁より)読みやすいように修正済み。
その功徳を積み上げる心構えに必要なのは、その利己心ではなく利他心と共に、この宇宙と生きとし生けるあらゆる生命の創造主である神(天)を唯一無二の絶対者として、『モーゼの十戒』に示されるような健全な倫理道徳観念と精神性を、いついかなる時も遵守することです。
あなたは、いつもあなたの意志と行動を『最高善』に即したものなのかを、自問自答する習慣を身に付けることですね。
プラトン(較正値485)が、高邁な政治を求めた対話篇『国家』にある通り、『善の哲学』に達したのは、ソクラテス(540)が、私人として市民ひとりひとりに、この『幸せ』と『満足』の違いを『善行』と『快楽』の違いに例え、精神を可能な限り高邁になるよう説いた行為こそ、真の国家公共の為に尽くした人物と評価したからに他ありません。
プラトンの『メノン』では、その徳行こそ最高善を求めることと説き、まさにソクラテスの思想が述べられた『ゴルギアス』の中では、それがより深いレベルで説かれています。
ところが『哲人政治は全体主義へ導く』とプラトンの『国家』(寡頭制:較正値415)を批判し『開かれた社会とその敵』(較正値185)を著したカール・ポパーは、神が人類に与えた使命と目的を無視しています。彼はマルクスの唯物論への批判は素晴らしいものの、プラトンの『善を求める哲人政治』とへ―ゲルの『絶対者としての神』のお陰による高徳の権威を認めません。ポパーの『民主制(較正値410)』の実現を目指すというその反論は、完全なる
『道徳的相対主義』です。彼は、最高善を定義せず、かつ神権の否定は、完全な過ちと言わざるを得ないでしょう。
『開かれた社会とその敵』は、マルクスを否定するものの、実はその流れを汲むポストモダン主義の典型的悪書です。他方で
ソクラテスは、生涯にわたり『徳』の重要性を説いていたプラトンの眼識は本物ですから
ソクラテスについて、明日に続きます
「プログラムされたものを観察することは、意識的になることを意味します。私達は、意識を拡大するために、意識の上昇を図るプログラムと、週末のセミナーを聴講します。これは、何を意味するのでしょうか?いくつかの新しい事態を悪化させるための手法を、手に入れるのでしょうか?神秘的な真実について他の誰かの考えに、プログラムされるのでしょうか?
意識プログラムのほとんどは、この重要な点に要約できます。私達が毎日受け入れているもの、私達が同意しているものに、気づくようになってください。私達は、毎日受け入れているものについて、すでに私達がプログラムされ、のめり込み始めているものを考察しましょう。すでに私達にプログラムされたものを、次に、それに質問をし始めて観察しましょう。他方、それを手放なすのを観察しましょう。」
(『Letting Go: The Pathway to Surrender』102頁より)
ホーキンズ博士は「現代社会は、人類史上最悪の『洗脳』がメディアによってなされています」と述べています。世界中の主要メディアは、間接的であれDSに支配されているため、真実を報道しません。
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