中華人民共和国の代表がなぜアメリカ合衆国を訪れるのでしょうか。
それは互いの立場や考えを直接伝え、誤解を減らし、衝突の可能性を下げるためです。
中華人民共和国、ロシア、朝鮮民主主義人民共和国、アメリカ合衆国、イスラエル、イギリス、日本をはじめとする軍事大国が戦略兵器を総動員して戦えば、地球と生態系 人類に計り知れない被害が及ぶことは、小学生でも理解できます。
だからこそ、そのような未来を避けるために必要なのが、文化交流、教育交流、そして政治外交です。
戦争に勝者なし。
これは現在、多くの歴史研究や国際政治の議論の中で共有されている認識です。
一方で、資本主義経済の下では、軍需産業や軍備産業が戦争だけでなく、危機や緊張そのものから利益を得る現実も存在します。そして、その原資の多くは国民の税金です。
では、平和は利益を生むのでしょうか。
それとも、人間社会は危機を必要としてしまうのでしょうか。
これは古代から続く哲学的な問いです。
私は、その落とし穴は競争そのものではなく、対話を閉ざし、信頼を失い、恐怖によって行動することにあると思います。
コミュニケーションや交流には、莫大なお金は必要ありません。
互いに災害復旧を助け合うこと。 食料や医療を支え合うこと。 文化や教育を分かち合うこと。
その積み重ねの中から信頼は生まれます。
恐怖は「相手を知らないこと」から生まれます。
対話が止まると、人は相手を敵として想像します。 交流が続くと、人は相手を同じ人間として理解し始めます。
武器は相手を抑止する力を持つかもしれません。
しかし、信頼を生み出すことはできません。
平和を支える最大の資源は軍事費ではなく、人と人とのコミュニケーションなのかもしれません。
カール・セイガンは『コスモス』で、人類を「青い点の上で運命を共にする存在」と見ました。
もしその視点に立つなら、問題は競争そのものではなく、対話を失った競争です。
恐怖は壁を築きます。 交流は橋を架けます。
そして、その橋を渡り続けることこそが、平和への最も安価で、最も困難な、しかし最も確かな投資なのだと思います。
青い点の上で生きる私たちは、本来、勝ち負けを競う存在ではなく、「生命倫理」の中で共に未来を育む存在なのです。
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