あなたはお気づきでしょうか?
『反日』を掲げる左派は、結局のところ、相対主義のため、神(天:創造主)を唯一無二の絶対者として、健全な倫理道徳観念と精神性のための、絶対主義(較正値650)の権威を認めません。しかし左派は、その発想の基盤がどれほど危険かを全く分かっていません。以下ホーキンズ博士の論述です。
「『意識マップ』は、絶対主義を扱います。すなわちそれは、絶対的存在の神に対しての私達人類の振る舞いについてです。相対主義において、知覚は精髄/本質ではなく見た目の現実性です。600での第三の目の開眼まで、精髄/本質と見かけ/外見を区別する能力は生じません。第三の目の開眼は非常に稀なことで、そういう訳で意識計測の科学は、いまだに600に到達していない人々に対する神の贈り物であり、そのため更に一層、真実と虚偽を区別出来る状態になって欲しいものです。650で較正される絶対主義の代用とは、125から190で較正される相対主義です。190の『知覚は真実である』は、ポストモダン主義を象徴する基盤です。デカルト(490)は、マインドがこの世界の様相として見えるものに対し、本物であるとし、メンタルの作用によるこの世界の処理と区別出来ないと指摘しました。一方のマルクス(130)は『創造』と生命の『源』として神の真実性を拒絶するという、犠牲者/加害者から成る弁証法による唯物主義を立案しました。プロタゴラス(190)は、「私は自分自身の真実性の中で生きているが、しかしあなたは、あなた自身の真実性の中で生きている」とし、知覚を真実であると言いました。この議論は、紀元前450年に偽りと証明されました。現代世界はプラトン(485)よりも、むしろプロタゴラスの哲学に同意しています。」
(『Book of Slides: The Complete Collection Presented at the 2002-2011 Lectures with Clarifications』スライド102:215頁より)
ここで博士は、人類に真偽を見極める能力を授かるレベルを600と明言しています。他の博士の著作には、これより詳しく、「ごく稀に585レベル付近の到達者に第三の目(ブッダ・ボディ)の開眼を許される」と書かれているものの、それは例外中の例外です。
無神論教育が、西洋諸国に行き渡りっている結果として『モーゼの十戒』に代表される道徳律を守らねば、必ず地獄に堕ちることを、現代人のほとんどは知らないという、まさに悲劇が起きています。
しかし「『人権』と『民主主義』を独裁から守る」と主張する左派は、『モーゼの十戒』を私が持ち出すと、「神権政治にもどるのか?」といったように、ピントのずれた批判に終始し、絶対主義が、どれほど重要なのかを理解出来ないものです。
「プライドは、深いところで為になると推測される多くの物事に対して、またプライドのマインドと、それに加え私達が悪いと推測するだろうそれらを受け取ることに対し、私達を盲目にします。私達が、本当にもっとこころが力強くなるなら、なるほど私達は、ますます柔軟になり、そうすると私達は為になることすべてに開かれます。プライドは、完全に見ればすぐ分かるようなことを見ることから、私達を妨げます。プライドのために無数の人々は死にます。その人々は文字通り自分の健康と人生を諦めます。耽溺とアルコールは、プライドに内在する拒絶のため、よく死へと通じるものです。『他の人達には問題があるけど、私にはない!』プライドは、私達自身の限界を認識することを妨げ、かつそれらを乗り超えるために、必要な助けを受け取ることを妨げます。私達の鼻高々な状態は、私達を孤立させます。」
(『Letting Go: The Pathway to Surrender』152頁より)
「自分は間違っている」ことを、絶対に認めたくないのがプライドです。それは100%意識の成長を拒みます。しかも自ら死後『地獄』に落ちることを選択していると言えるでしょう。
『反日』や『左派』の思想的背景にあるマルクス主義やポストモダン主義を妄信する方々は、ソクラテスとプラトンによって紀元前450年「詭弁は単なる『虚偽』に過ぎない」と、論破されたプロタゴラスの弁証法をなぞり、いまだに自らを貶めることをしています。
ログインしてコメントを確認・投稿する