あなたは、『楽しい』には、2種類あることにお気づきでしょうか?
「こころの外側の出来事による楽しさ」と、「こころの内側の出来事による楽しさ」の2種類あります。
あなたは、忘れていませんか?
「こころの外側の出来事による楽しさ」は、アドレナリン全開のケースもあるものの、
エンドルフィンは、「こころの内側の出来事による楽しさ」を実現します。すなわちあなたの内面の幸福によってのみ、エンドルフィンは分泌されることですよ!
ゆえに「こころの外側の出来事による楽しさ」は一時的で儚く、実は幻影であるものの、「こころの内側の出来事による楽しさ」は永遠で無限の広がりをもつものです。
ところで、実のところ仏教では偶像崇拝を認めていません。その証拠にブッダは、「私を尊敬するのではなく、教えを尊敬しなさい」と述べています。しかし何故、仏像が作られるようになったのでしょう?
それは、左右大脳半球の同期化に失敗していると、人はインスピレーションを受け取れず、イントゥイションも機能せず、極楽浄土をイメージ出来ないため、考案されたというのが事実です。それは
多くの人々が「こころの内側の出来事による楽しさ」を理解出来ていない証拠でも、またあります。
あなたのように、私の書いたものを熱心にお読みなら、もうお分かりでしょう。
あなたが、「本物だ」とホーキンズ博士の論述を評価するなら、あなたは、スピリチュアルに目覚めている証拠。すなわち「本物だ」と思えるには、あなたが「こころの内側の出来事による楽しさ」の優位性に気づいている証拠ですよ。
そのためあなたは、真実の情報を次々に吸収し自分のものにすることで、あなたは、ますます意識レベルを上昇させられるでしょうし、それによって「こころの内側の出来事による楽しさ」のルーチン・ワークを確立させることでしょう
「結果的にその食餌療法を楽しいという人達は、守るべきものが何もないため、議論の中にいるとは決して聞いたことありません。もしも誰かがその人達は、それが楽しいため、自分達が食べるやり方で食べると、私達に告げるなら、それについて取り立てて何かを言う程の事はありません。そうではありませんか?他方で、もしもそれらの摂取方法は、正しい食べ方であると、その人達が推測し、そのため推測により私達のものと違っているならば、実は、彼等や彼女等が本当に言っていることは、私達よりも、もっと良いということです。それは、たいてい憎しみを生みます。」
(『Letting Go: The Pathway to Surrender』150頁より)
まさに好きこそ、物の始まりです。私の半生は、このホーキンズ博士の著作を正確に訳すためにあったとしか思えないものでした。
中学生の時にタイプライター、ビートルズ、『コモン・センス』と出会い、高校生の時にヨハン・セバスチャン・バッハに夢中になり、大学の時には、アメリカ政治を学び、日本の政官財学の中枢の波動の低さに驚愕し、人間の愚かさから「人は何処から来て、何のために生き、そして何処へゆくのか」を探求するため、政治学、歴史、哲学、宗教学、理論物理学や、神経生理学などの本をむさぼるように読み、塾経営の際には、英語を基礎から学び直してきました。他にもたくさんありますよ。そして2009年11月3日にその時は訪れます。
すべてが楽しくて、わくわくどきどき、人の為になることをしてきたのですから
まさに、いわずもがな。
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