昨日、ベーヤス・アルテスという美術館付属の映画館で清水宏の「蜂の巣の子供たち」を観てきたの。1948年、清水が引き取って面倒をみてた戦争孤児たちを使って、親戚探しの意味もあって、「戦争孤児が自身も孤児だった復員兵と一緒に復員兵がそだった施設を目指して旅する」って映画なんだけどさ。このシーンが一番の盛り上がりというか、すっごく長く一人の子供が懇願されて病気の友達を背負って山に登って海を見せてあげる、てシーン。なんでこんなに長くするの?とまで思うくらいず〜〜〜〜っと山登りのシーンを見せてた。
この子が海を見たいと言った理由がサイパンからの引揚船が沈んでお母さんが亡くなったので海にはお母さんがいる、って伏線なのよ。
で、この戦争孤児たちのその後はどうなったのかしらねぇ?映画撮影中の1947年(昭和22年)に5〜8歳位だと今も生きてる人もいそうよね。蜂の巣の子供たち 孤児 その後でググったら、こんなブログが(
http://blog.livedoor.jp/sinumadeni-mitaieiga/archives/35045309.html)。「その後」の映画が1951年公開なのね、と探したら、こういうのも
何人くらいいたのかしら?って検索したらAIはこういうことを:
≻第二次世界大戦後の日本において、戦争により親を亡くした「戦災孤児」は、1948年2月の厚生省調査で約12万3511人確認されています。実際の数はこの数字を遥かに上回るとされ、沖縄や海外の旧植民地は調査対象外であったため、実態は把握しきれないほど膨大でした。
≻詳細なデータは以下の通りです。
総数: 12万3511人(1948年2月時点、20歳以下)
死因別: 親が空襲や戦闘で死亡した孤児:2万8248人
復員・引き揚げ: 終戦に伴い引き揚げてきた孤児:1万1351人
孤児の状況: 約10万人は親戚などに保護されたが、7117人は浮浪児(駅などで生活)となった
特記事項: 沖縄県では推定3000人以上、原爆孤児は2000〜6500人ともいわれている
って浮浪児になったのは1万人以下だったの?ま、沖縄は当時日本の領土でなかったから厚生省の調査もはいってないだろうし、原爆孤児がアメリカ様の為に数えられない、ってとこもあるんでしょうね。本当は戦争孤児=20万人近く、浮浪児になった人≂一万人なんでしょうね。
その後はどんな生活してしていたのか、ちょっと興味あるわ。なんかそういう本もありそうよね。1960年の黒澤の「悪い奴ほどよく眠る」の主人公、三船敏郎とその親友、加藤武も戦争孤児という設定だった?(ってか三船はお父さんが自殺に追い込まれたのを復讐するのがあらすじだったから三船は違ったのか?)。
ジェネリックだとこういう記事があったわ(
https://gendai.media/articles/-/97626?imp=0)。なんか興味あるし、映画のシナリオにできそうなので、今度日本へ行ったら本を探してみよう
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