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2025年09月24日05:11

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戦争省(14)

7世紀から続いた『和を以て貴しとなす』法を、藤原道長、北条政子、足利尊氏と、徳川家康は実践するため努力したものの、明治政府は、それを無視した結果、現在の如くアメリカの軍産複合体などをバックボーンとするディープステイトに支配されることになります。

江戸時代の長期にわたる平和政策の担い手であった幕藩体制も、残念ながら15代将軍徳川慶喜の大政奉還により、無残にも完全に解体されました。そして歴史を振り返ると分るように、平和な政治体制から、明治以降、まさに血に飢え戦争に明け暮れる好戦的な政治体制にとって代わられます。

『明治維新』とは、首謀者の行為を覆い隠すために考案されたものです。実際は『陽明学』の『知行合一』の解釈を曲解した吉田松陰と、その門弟による『明治反逆革命』でした。

『陽明学』の祖である王陽明は、日本の武将に例えると上杉謙信で、とても信心深く、戦えば百戦百勝の知将でした。彼の『知行合一』の真意とは、『道教』や『儒教』などの健全な道徳律と精神性による『知』と人の『行』いを、『一』に『合』わせることを意味します。

実際に王陽明は、真摯な信心による座禅修行により、エクスタシー(三昧)を経験します。彼は、天(創造主)に関するスピリチュアルの真実を主観的に正確に認識していました。

すなわち『知行合一』は、吉田松陰の如くマルクス主義に似た彼の信念「身分にとらわれない世の実現」のためならば、政治や外交のノウハウがなくても、また道徳律や精神性も無視してもかまわず、反逆もいとわないという意味では全くありません。

そういう訳で、明治政府の実態は、学校の教科書に書かれている内容と正反対の下剋上です。主に反逆に加担した薩長の下級武士と公家により、外交を含め世界情勢に疎く、さらに政治のノウハウを一切持たない素人集団によって政府は構成されることになります。しかも近代国家建設は、欧米の悪意に満ちたアドバイスを、あらゆる領域で聞き入れ実行します。

新政府誕生と、後の廃藩置県により「官僚の病巣」の源泉といえる『猟官』に彼等は奔走し始め、まさにエゴ(自我)による自欲まみれの官位争奪戦は、全国で巻き起こります。

この騒動にあきれ果てた渋沢栄一、西郷隆盛、大隈重信や、福沢諭吉は政府と距離を置き、それぞれ日本の近代化に尽力することになりました。

明治23年の第一回帝国議会の開催に対し、勝海舟も、また大久保利通と共に時期尚早と危惧していた通り功利主義に基づく多数決の採用で、主導権は、早々に薩長の戦争屋に握られます。

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