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2025年09月21日05:19

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戦争省(11)

論語は、理性により知識に頼る知識人を『小人』と呼びます。

『君子」は、健全な道徳律と精神性の人生の指針とする教養人のことを呼びます。『いかれた教授陣』は、孔子のいう理性を用い知性に頼る幼稚で未熟な『小人』のことなのですね。

どうして世界中の政官財学の中枢を占める人類の最高峰の知性(最高較正値499)の持ち主達が、ウルトラレフトのグローバリストとなり、すなわち『小人』達は、富と権力を握ろうとしているのでしょう?

そして、どうして彼等や彼女等の精神レベルは、幼稚で未熟な200未満なのでしょう?

現代の先進国の学校教育は、『小人』を育てるためのカリキュラムを優先し、概して『君子』となるために求められる左右大脳半球を同期化させる方法を教えないものです。

その結果としてお勉強のできる人を「あなたは天才」ともてはやされ、すると、誰であれ概して謙虚さを忘れてしまうためです。

先日、トランプ政権を支持していたチャーリー・カークが、狙撃され亡くなりました。彼は、そのようにもてはやされても、創造主への忠誠心を忘れずに持ち続けていました。彼は、人のエゴの限界を理解していたため、無神論、懐疑論や、唯物論の人々を苛立たせていました。

理性や知性、言い換えるとエゴ(小文字のsで始まるself/小さな自己/自我)は、ハイヤーセルフ(大文字のSで始まるSelf/偉大なる自己/真我/アートマン)を理解出来ません。すなわち神を認識する能力はなく、人は神を理性や知性で認識しようと試みるものの、決して神を理性や知性で主観的に認識し理解出来ないため、謙虚になれないのですね。

人類の悲劇は、理性や知性の優れた人々を『エリート』としたことで起きました・・・。

人は誰でも周囲から『エリート』と認められると、エゴが、必ず自分はもしかすると『全能』なのかもしれないという錯覚の中で思考し、行動するようになります。

マルクスの『資本論』は、エディプスコンプレックスの影響により書き上げられたと、ホーキンズ博士は述べています。

彼の父へのコンプレックスから、まさにヘーゲルの主張する絶対者を神と認識することは出来ませんでした。彼自身の父親へのコンプレックスを絶対者に投影していた訳です。

すなわち、『いかれた教授陣』は、自身のエディプスコンプレックスから、神を否定している精神の未熟な方々にもかかわらず、私達人類は『小人』を『エリート』に仕立ててしました。


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