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2025年05月08日09:03

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つまらない考え

■事実婚理由「改姓望まない」が3割=半数が夫婦別姓導入で法律婚―民間団体
(時事通信社 - 05月06日 07:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=8301996
改正を望まない理由が何なのかはどうでもいい。しかし、こういうことを言いだす人はだいたい自分勝手な人が多い。自由に生きたいから(逆に言うと縛られるのがイヤ)とか、そもそも苗字に意味が無いからとか。2人が良ければそれでいいからとか。
だいたいどれも自分勝手なというか短絡的な考え方だ。

こういう人は墓参りにも行かないし、自分の葬式もしないとか、遺骨をどこぞへ撒けとか言う人だ。まぁ、遺骨は一部をどこぞへ撒いてと言うのは墓にも骨があるのだから良いし、そもそも遺骨を全部骨壺の中に入れるわけではないしな。

そもそも苗字が変わるということを理解していない人が多い。それは自分の生き方とかそんな小さいことではなく自分が今この世に生きて、その「自由」な人生を与えてくれた先祖に対しての振舞い方の一つと言って良い。
つまり、自分の人生は良いものにしたいが、そんな前の人のことなど知ったことかという考え方だ。それは自分勝手以外に何者でもない。

分家であろうが何であろうが、まず、結婚して子供が居なければその家(つまり連綿とつながっている先祖からの系譜)が切れることになる。良い悪いはあってもそれを良いものにしていくのは自分を含めてこれからの道だ。その道をそこで終らせることを意味する。

苗字はその象徴であり墓は家族の単位で作られそこに入って行く。この文章を読んで頭に来ている人は良く考えて欲しい。自分の後ろに何十万年にも及ぶ先祖が苦しい時も辛い時も命をつないできてくれたからこそ、そこに今、「自分」という命が存在する。
それはバトンをつないできてくれた人々があなたにバトンを託したとも言える。
それを自分の人生は自分の勝手に生きると言ってそこで途絶えるなら自分勝手、身勝手の頂点だろう。

結婚し、子供を産み育てることが一つのバトンだとすると苗字もその一つと言える。
苗字は明治時代に授けられた人が殆どで新しい制度と言えるが、それはあくまでも制度上の話でその苗字にも先祖の足跡がこめられそこに統合されている。
結婚もしない、結婚して苗字のことを蔑ろにするということも同じように先祖からのバトンを蔑ろにすることと同じ。

たとえば、女の子が1人しかいない家庭のその子が結婚する時、次男との結婚なら容姿として入ってもらい、苗字を残すことも考えられる。しかし、「マスオさん」という差別から次男三男でもなかなかそういう線得をしようとする人はいない。しかし、その差別以上にその家に入ってもらうということはその家や苗字、つまり先祖からの系譜がつながることを意味する重要な決断である。それはつまらない、言われているかどうかも分からない差別的な雰囲気でやる話ではない。

しかし、もしそれがダメなら子供を2人以上生んで将来誰かが奥さんの家に入る(その家の財産を引き継いで養子になる、つまり苗字が変わる)。こう考えるとそんなに蔑ろにしていい話ではない。自分が身勝手に生きていられるうちはそんなことは気にしないと思うが段々年を取り死期が近づいてくると心配になって来る。しかし、そうなってしまってから後悔しても遅いわけで、想像力が働く人なら苗字が変わるのがイヤだとかそういう狭く浅い考えにはならないはずである。

自由主義だから何でも自由だという考えはまったく思い違いであり、自由に生きるということは深い思慮に基づく大人の判断が出来る人のことを言う。
自分で勝手にしている人はただの子供であり、思慮が浅く、陳腐だ。
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