音楽は「こうでなければいけない」というルールは無い。休符は「休み」と教わるが、実際は「音を出さない演奏」をしているのだ。
物議のストリートピアノ運営が謝罪 ピアノ撤去検討でしばらく使用休止「不愉快な思いをさせてしまった」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=8251847
めずらしく事の顛末までのニュースで3回目の投稿。
ストリートピアノは休止。とのことだが、音楽なら休符。
じゃぁ休んでいいか? というと休みではなく、
音を出していない演奏。
なぜなら、この休符、音を出していなくても
練習しないと身に付かなかったりする。
ジョン・ケージの4分33秒は、その休符の先にある
何かを表現している。
面白いことに音楽を突き詰めていくと、ソコにあるのは
頂上ではなく、元の場所に戻ったりする。
破壊と創造のループだが、何も知らずに始めた
音楽の初心を忘れていることに気づいてしまう。
今回の処置が休符なのか、破壊と創造なのか分からないが、
心地よい音楽だけが音楽ではなく、不快であったり、無であったり
恐怖や悲しみなど、感情と密接に連携している。
練習に聞こえる演奏も、「登れない階段への挑戦」と思えば、
違って聴こえるだろう。必ず練習は成果になる。それを
リアルタイムで見れるかもしれない。
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さて、ここからは科学的な話。
音楽の快感は「アルコールと同じ脳領域」で発生している
https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/85963
他にも、音楽ライブには「持続的な幸福感」をもたらすそうだ。
まぁ、人生は幸福だけじゃなく、辛いときもあるのよ。
そのまま共感できる音楽があるし、できない音楽もある。
音楽は面白いことに改めて気づいた一例でした。
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