あなたは、余分な欲望を手放すことは出来るものの、生理的欲求のすべてを手放すことは出来ません。
『ハイ』になりたいという本能から、人の欲求に際限などありません。
もうひとつ別の理由とは、あなたは残念ながら身体を持っているためでもあります。あなたの身体は動物そのものの特徴を持っています。
しかもこの身体を、あなたが、しっかり制御出来るのは、なんとわずか1パーセント未満であるとホーキンズ博士は言います。そのような、あなたの思い通りにならない身体の生理的欲求を手放すことは不可能ということですよ。
しかし、強欲は、キリスト教でも仏教でもとても良くないことであると説いています。
その『ハイ』になりたいという原点回帰への要求とは別のこの強欲にいたる欲望の原点とは、一体なんでしょう?
先にも述べた通り、人は動物と同じレベルの身体を持っていることが、その理由ですね。
人は、最低限の衣食住を満たしていなければ生きてゆけません。
手に入れること。
それは動物の本能。
植物と違い、すべての動物は他の生物の命を摂取することでのみ生きながらえます。そのため進化の過程で、他の生物を『手に入れる』ために、脳は進化し、人の左脳は、その性質をそのまま受け継いでいます。
それは、利己的な左脳のみ機能している哉、人の欲求が「生きたい」時、人は「何を手に入れるか」であることに端的に現れています。このレベルに人類の80パーセントはとどまっています。
意識の成長と共に、他者も自分と同様に大切に出来るようになると左右大脳半球は同期化し、すると人の欲求は「知りたい」へと転じると共に「何をするか」へと変化します。
そしてさらに意識を成長させると、エーテル脳の活動領域を広げ、すると、その人の欲求は「仲良くなりたい」時、人は自分が「何者になるか」へと変化します。
あなたの人生を左右する「欲望」について博士は次のように述べています。
この感情は、軽い欲求から脅迫観念、何か、もしくは誰かに対する切望に駆り立てるまでの範囲に至るでしょう。それはまた、貪欲、欲望に取りつかれること、渇望、うらやみ、嫉妬、しがみつくこと、ため込むこと、情け容赦のない性質、病的な固執、熱狂、誇張、度を越えた熱望、わがまま、性欲、独占欲、支配、魅力、情緒不安定、そして欲深い性質でもあります。『決して満足していない』『決して十分ではない』『持たねばならない。』この感情に隠れている性質は、その駆り立てられる性質です。私達が、欲望の影響下にあると、私達は、もはや自由ではありません。私達は、それに支配され隷属され引きずり回されます。
繰り返します。欲望からの解放の本質的ポイントは、確実に欲求を満たすことを、意識的に選択したことがあるのか、もしくは、私達が、無意識のプログラムと、信念システムによって、まさに、やみくもに駆り立てられる存在であるのか、どうかです。
多くの場合、欠乏と欲望の機能に関する理解に、欠落があります。その主な幻影は、「私が、それを望んでいることによって、私が望むものを、どうしても、手に入れるための唯一の方法。それは、私が、自分の欲望を手放すなら、その時、私が、望むものを手に入れるだろう」という言明であると、分かることでしょう。実際、その反対が真実です。欲望、特に強い欲望(例えば、渇望)は、頻繁に、私達が、望むものを得ることを、妨害します。
これは、何故そうなのでしょうか?私達が、それを選んだ理由であることを、その何かの方法が、私達の人生に受け継がれます。それは、私達の意図の結果で、もしくはそれに対する結論に達しました。それは、『欲望にも関わらず』、私達の人生に受け継がれました。その欲することは、実際、その成就や、手に入れることに対する障害でした。これは、文字通り、「私は、持っていない」という欠乏感を意味する理由にあります。言い換えると、私達は、何か望んでいるというならば、それは、私達のもではないと言っています。それが、私達のものでないというとき、私達は、自分自身と、私達が、望むむのとの間に、魂に隔たりがあります。この隔たりは、私達が、エネルギーを浪費して障害となります。
(『Letting Go: The Pathway to Surrender』107頁より)
あなたの身体がある限り、欲望はあなたと切り離せないことに気づかねばなりません。さらに深堀してゆきましょう。
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