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2024年12月19日23:31

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「巨人オーナー」としての「蛮勇ぶり」で「敵に感じた」人も多かろうけど。

■【訃報】読売新聞グループ本社・渡辺恒雄代表取締役主筆が死去 98歳
(TBS NEWS DIG - 12月19日 09:49)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=266&from=diary&id=8138225
渡辺恒雄読売新聞グループ本社代表取締役主筆(98歳)が今日(12月19日)に肺炎のため、都内の病院で死去したと言うニュースに接し、「平成初期からの代行時期含め、読売巨人軍オーナー時代の“横車を押す”様々な蛮勇ぶり」と言う“負のイメージ”が第一に浮かんだ人も多いかもしれません。長嶋茂雄元監督(当時)を再登板させ、ドラフトに逆指名枠を導入させ、FA制度整備を進め、平成16年の所謂「球界再編騒動」で「10球団1リーグ制への移行」を主張し、当時の日本プロ野球選手会の古田敦也選手会長がオーナー陣との直接会談を求めたことに「分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が。たかがといっても、立派な選手もいるけどね。オーナーと対等に話をするなんて協約上根拠は1つもないよ」との発言で一蹴したこと、更には、平成5年のサッカーのプロリーグ「Jリーグ」の発足を巡り、Jリーグの川淵三郎初代チェアマンとは当時のヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の親会社の社長として、Jリーグがクラブ名から企業名を外して「ホームタウン名+愛称」で統一することを求めたことに反発、川淵チェアマンが「Jリーグに巨人はいらない」と対抗、「ヴェルディ川崎Jリーグ・チャンピオンシップV2祝賀会」で「企業サポーターがスポーツを育てる。1人の独裁者が空疎で抽象的な理念を掲げるだけではスポーツは育たない」と発言、川淵チェアマンが「独裁者に独裁者と言われて光栄」と応戦したなど、まさに“枚挙に暇無し”でした。
その“蛮勇の一面”で顰蹙を買った一方、主に政治記者として活躍、その論調を「中庸で現実的な視点に立った自由主義的保守路線を確立し、数々の「提言報道」で、言論機関としての新たな境地を開いた」こと、取り分け、平成6年に発表した「憲法改正試案」で、自衛力保持や環境権の新設、憲法裁判所創設などを明記し、それまで実質的タブー視されていた憲法論議に一石を投じ、平成11年からの日本新聞協会会長時代には「活字文化の振興や、戸別配達維持による健全な販売競争の実現に尽力」の傍ら、新たな「新聞倫理綱領」を制定し、「人権の尊重」を新たに項目に立て、「読売信条」を刷新して読売新聞の報道・言論活動の方向性を「世界の平和と繁栄に貢献する「国際主義」など」とするなど、読売新聞としての独自の方向性を示したことは、積極的に評価されるべき“功績”とみるべきだと思います。
読売巨人軍オーナーの他、大相撲の横綱審議委員会委員長、政府の財政制度審議会委員、有識者会議「情報保全諮問会議」座長などを歴任、政府の行政改革会議の委員として、当時の1府21省庁から1府12省庁への再編を主導していました。
大正15年5月30日の東京生まれで、東京大学文学部哲学科を卒業後に昭和25年に読売新聞社入社、ワシントン支局長、編集局総務兼政治部長、専務取締役主筆兼論説委員長などを経て、平成3年に代表取締役社長・主筆に就任、平成14年の持ち株会社制移行に伴いグループ本社代表取締役社長・主筆、代表取締役会長・主筆を経て、平成28年に現在の肩書きにあったとか。中曽根康弘、安倍晋三、岸田文雄と言った歴代首相と親交が深く、平成20年に「多年にわたり新聞事業に携わり、業界の発展に尽力するとともに、報道文化の発展に貢献した」などとして旭日大綬章を受章した人でした。先月末まで定期的に出社し、「役員会や社論会議に出席して大所高所から本社の経営や社論を総覧していた。今月に入って体調を崩し、病院で治療を受けていたが、亡くなる数日前にも社説の原稿に目を通して点検するなど、最後まで主筆として執務を続けた」とか。とてつもない、タフな98歳だったと思います。合掌。
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