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2024年02月13日10:02

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高尚なスキル

■なぜオーケストラには指揮者が必要なのか 西島秀俊さんをレッスンしたマエストロが本音で語った「指揮者の世界」
(TBS NEWS DIG - 02月11日 21:18)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=266&from=diary&id=7746449
こういったオーケストラに籍を置く演奏家や指揮者は平安貴族のような感じで見ている。
平安貴族は優雅な生活をしているだけでなく教養や素養、いろいろな書物をそらんじ、和歌を詠む際にもいろいろな中国の古典や日本の歴史書、書物などを引用しながら自分の作った和歌とシンクロさせる。その意味や何を言いたいかなどはいろいろな書物からの引用し含みを持たせ、気が付く人と気が付かない人との差を生む。そこで分かる人と分からに人とでは才覚に勝手にランクがついて行ってしまう恐ろしい世界だ。
それによって官職が決まったりもするので彼らは知性、教養、文化的なセンスを高いレベルで要求される。

一流の演奏者や指揮者ともなると当然、いろいろな作曲家の人と成りはもちろん、どういう時代に生き、どのタイミングでその作品を生み出したか?その背景というのは知り尽くしている人ばかりだ。楽譜は演奏の設計図であり、その通りに忠実に演奏すれば作曲家の指示は完璧にトレースすることが出来るが、一つ一つの記号に含まれる強弱などの演奏方法は記されていても「どのように」までは記されていない。

「強く」と記してあっても「どのように強く」までは記されていない。そこが高尚な次元での解釈や知識、知性、文化的な素養も含めた激しい戦いとなる。
それぞれ育った環境が違うため演奏者には一人一人に別の色の「強く」が存在する。
おそらくそこをまとめ上げるのが指揮者なのだと思う。そういった高尚な世界、平安貴族のように文化的に達者の人々がそれぞれの「強く」や「弱く」を用している。

例えば「台風の時の風のように強く」とか「春風のように暖かく、やわらかに弱く」とかだ。しかし、そこにもそれぞれの感じ方が違うので経験してきた年齢や状況によっても違いが出てくる。楽譜には「強く、弱く」とは書いているが「どのように」までは書かれていないというのはそういうことなのだろうと思っている。

同じ曲を同じ指揮者と演奏者でも演奏する季節によっても変えてきている気もする。
そこが高尚なという意味にもなって来る。私はどれだけ練習して演奏会に臨むのかは知らないが、演奏する季節に合わせて例えば練習は冬から春にかけて行うが演奏会本番は初夏だとすると演奏に含ませるエッセンスは違ってくる気がするので初夏の気分で冬に練習するというのもあるのではないか?例えばニューイヤーコンサートだと新年の喜びや平和への祈りを込めるからそういうエッセンスを入れてくる。同じ曲、同じ演奏者、同じ指揮者でも聞こえ方が違ってくるのではないかと思う。(私はそこまで高尚ではないのでそれは推測でしかないが)

指揮者はそのために必要だと思っている。ただ、演奏をしてもらうなら要らないが、高尚な世界で一流の演奏者の感性を束ねるには必要だと思うし、「どのように強く、弱く」は無限の調整が存在し、聴く人の高尚な素養もあるから無いと味気ない者になってしまうのではないか?とも思う。偉そうなこと言っていますがクラッシックはそんなに聴く方じゃないですがね。
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