mixiユーザー(id:7846239)

2021年08月22日16:13

102 view

ベートーヴェン「ピアノ協奏曲全集」(ツィマーマン,ラトル,LSO)その3

【収録曲】

 ベートーヴェン
CD3
 ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 Op.73『皇帝』
 
 クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)
 ロンドン交響楽団(管弦楽)
 サイモン・ラトル(指揮)

録音:2020年12月,LSO St Luke’s,ロンドン
DG 4839971(セッション)


今回はCD3の「皇帝」。ひとことで言うならとても華やかな皇帝。ドイツの神聖ローマ帝国の皇帝ではなく,フランス・ブルボン王家の王といった雰囲気が濃厚に立ち込める。しかも豪華な衣装を纏った女性の王様といったたずまい。バックハウスやグルダが弾く「皇帝」とは一味も二味も違う新しい時代の「皇帝」に聴こえる。ツィマーマンやラトルが世に問いたかった新しいベートーヴェンのピアノ協奏曲が凝縮されているようだ。第1番から第4番までのピアノ協奏曲と同じく明るく,軽快でかつ華やかな演奏。ある意味ベートーヴェンらしくない。伝統的なドイツ音楽らしい重厚感に拘らないと言った方が適切だろう。

これは古楽奏法から大きな影響を受けたためだろう。この演奏を形作る響きは古楽奏法の例に漏れず表面的で,重厚感ばかりかドイツ音楽の特徴ともいえる深みが物足りない。明るい響きのモダン楽器のアンサンブルに表面的になりがちなピリオード奏法を応用すると,深みのある響きは望めない。通常の古楽奏法と異なるのは演奏の精度が古楽オーケストラや当時のピアノとは比較できないほど精密なこと。モダン楽器の演奏精度と古楽奏法の軽く柔らかな響きのハイブリッドといえば分かりやすいかも知れない。その意味ではラトルのベートーヴェンピアノ協奏曲第5番「皇帝」と言うべきかも。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」について,ラトルは興味深いことをライナーノートで指摘している。この作品は飛び切り拡張された室内楽という性格をも有しており,従って公共的な側面は持たず非常にプライベートな表情を持っている,とラトルは主張する。なので緩徐楽章は時が止まったかのような桁違いな表情の楽章になっていて,ベートーヴェンは予想外の表現語法を作り上げた,と指揮者は言う。つまりラトルたちは「皇帝」を古楽奏法による精緻極まりない室内楽として演奏しようとしている。このことはこの全集を繰り返し聴いているとよく分かる。新しい時代の「皇帝」と感じる理由もこうした背景から理解できそうだ。

古楽奏法好きのラトルの言い分はよく理解できるにしても,ツィマーマンがこういう解釈に対してどういう意見を持っているのだろうか。コミュニケーションについては完全に自然な感覚があった,とラトルは証言している。彼曰く「私がツィマーマンの方に視線を投げかけることはなく,そうする必要もなかった。そして二人の間にはどこで息継ぎをすべきかという感覚さえも共有できた。まるで兄弟で演奏しているような感じだった」と。ツィマーマンも「それはファンタステックな関係で,インスピレーションに満ちた演奏だった」と振り返る。「ラトルに私のソロに合わせて欲しいと頼んだわけではなかったけれど,彼はその通りのことをやり遂げてくれた。なぜなら彼とは自然に分かり合える関係だったから。必要なときにはいつもそこにいてくれて,音楽を作り上げたり理解したりするとは別次元の関係だった」のでとツィマーマンは回想する。

このレコーディング・セッションでは,ラトルの暗黙のリードのもと指揮者がイメージするようなベートーヴェンのピアノ協奏曲5曲を両者が異存を挟む余地のない録音を完成させたのだろう。ツィマーマンが言うとおり,「皇帝」はピアノ独奏付きの交響曲であり指揮者が優位に立つピアノ協奏曲なのだろう。

ツィマーマンがソリストをつとめるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集なら,ドイツの伝統に深く根ざした演奏を聴けるだろうとの思惑は空振りに終わったようだ。とはいえ,これを契機にそれぞれのピアノ協奏曲の個性の違いについて改めて知ることができたのは収穫である。同時に今までイメージしていたようなベートーヴェンのピアノ協奏曲の録音がリリースされる可能性が年々薄くなりつつあることもかなりの程度理解できたように思う。むかし聴いたバックハウスのようなベートーヴェンのピアノ・コンチェルトはもう過去の遺物になり仰せてしまったのだろう。演奏という表現も時代が突きつける疑問に対する答えなのだから。
4 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年08月>
日 月 火 水 木 金 土
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031