【収録曲】
ベートーヴェン
CD1
1 ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 Op.15
2 ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 Op.19
クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)
ロンドン交響楽団(管弦楽)
サイモン・ラトル(指揮)
録音:2020年12月,LSO St Luke’s,ロンドン
DG 4839971(セッション)
クリスティアン・ツィマーマンがベートーヴェン生誕250年を記念してレコーディングを行なったピアノ協奏曲全集が7月の初旬に発売された。この新全集は3枚のCDから成り,第1番と第2番,第3番と第4番がカップリングされ,そして第5番「皇帝」は3枚目のCDに収まっている。旧全集は第3番から第5番まではバーンスタインの指揮だった一方,第1番と第2番はツィマーマンの引き振りという変則的な全集だった。その点では,ツィマーマンによる初めてのベートーヴェンのピアノ協奏曲全集と言えるのかも知れない。
レコーディングは昨年の12月,場所はLSOが練習拠点としているLSO St Luke’s。ライナーノートに掲載された収録時の写真によると,ソーシャル・ディスタンシングを意識してオーケストラの奏者は決して狭くはないSt Luke’sの床一面に拡がった位置取りをしている。そして,これはCDを聴いた印象に過ぎないけれど,セッション録音と言っても5曲のピアノ・コンチェルトをかなり短い期間で一気にレコーディングをしているようだ。ライブ録音の一発取りに近いのではないだろうか。このことはピアニスト,指揮者とオーケストラの間でベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲に対するコンセプトが共有されていることを示唆しているのだろう。そして,ツィマーマンがかつてのように完璧な演奏にさほど拘らなくなったことも一役買っているのかも知れない。なので,以前のように全く隙のない,完璧な演奏からは少し距離を置いているので,気軽に聴けるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集になっているようだ。
この新全集は3CDだが,この蒸し暑い夏に5曲分の感想を書く気にはなれない。3回に分けて書くことにする。今回はCD1に収められている第1番と第2番について。
このCDを聴いた感想をひとことで言い表すなら,伝統的なベートーヴェンらしさからは相当隔たった演奏ということができそうだ。エネルギッシュでシリアス,形式的で論理的な展開を重視することなどからかなり自由な楽曲として第1番と第2番のピアノ・コンチェルトを捉えている。これは,中期以降のスタイルを確立する以前のベートーヴェンの音楽を既成概念を抜きにして捉えようとする試みのようにも聴こえる。
CDに同封されているライナーノートで,ベートーヴェンの5曲あるピアノ・コンチェルトはそれぞれ違う表情を持っている,とツィマーマンは言う。「最初の2曲は,それぞれ違う方法で奇妙な」ピアノ協奏曲だ,と指摘する。第1番より先に書かれた第2番について,ピアニストは第2番の持つユーモアーを凶暴で間抜けだと評する。ラトルも,ビックリするくらい自惚れていて行儀の悪いベートヴェンがそこにいる,とツィマーマンに賛意を示す。さらにこの作品を演奏したり聴いたりすることで,ベートーヴェンの人生の深さや悲劇を体験できるのだが,ベートーヴェンの喜びの源泉や生きるエネルギーをしばしば忘れがちである。私たちはベートーヴェンの生命が爆発する様を見るのであり,それは他の何かに対するただの前触れなどではなく,全面的に開花したひとつの傑作なのであるとラトルは続ける。
またツィマーマンは第1番について,私たちはベートーヴェンのことを嵐のような性格の人物だと思いがちだが,素晴らしいユーモアのセンスも持ち合わせている。だが同時にウィットや冷笑癖,何かグロテスクなものが第1番には含まれている。彼は今の若者たちと変わらない。かつてはこの第1番をとてもシリアスな作品として弾いていた。まだ少年だった頃,ベートーヴェンのとても小さな彫像をピアノの上に置いて,このベートーヴェンはとても古い時代のすごく年老いた作曲家なのだと自分の無意識に言い聞かせていた。当時のベートーヴェンより7歳年上となった今では少し年下の仕事仲間として温かい気持ちで接するようにしている。今ではこのコンチェルトをより軽い気持ちで,以前より多くの喜びとともに楽しんで弾いている,とツィマーマンは語る。
ライナーノートのどちらかと言うと不正確な要約を書き連ねたのは,CD1に収録された第1番と第2番を演奏する側の気持ちをかなり的確に言い表しているように思えたから。モーツァルトやハイドンの影響を大きく受けつつ,自分自身の個性を開花させるべく試行錯誤を重ねていた手探り状態のベートーヴェンを巧みに表現している。この演奏には互いに相容れない要素が混在しつつも,その矛盾が生み出す衝突がベートーヴェンらしさに繋がるというアクロバティックな面白さがある。
さらにこのCDで試みたツィマーマンやラトルのリラックスしたアプローチが,ベートーヴェンの別の一面を曝け出すことにも繋がる。響の密度が多少薄くなっても気にしない。緊迫感が希薄になっても構わない。音楽の展開が不明瞭になっても問題ない。こうしたある種のおおらかなスタンスが醸し出す,音楽を聴く楽しさも捨てたものではない。とりわけベートーヴェン初期の作品を再現するときには。
こうした接近法がスタンダードになるか否かを判断できる能力は持ち合わせていない。だが非常に興味深い試みを提示してくれたことは確かだろう。とくにツィマーマンがソリストを務めるピアノ協奏曲のCDでまさかこのような演奏が実演するとは予想だにしていなかった。ただし,ツィマーマンはLSO St Luke’sにいくつものピアノの鍵盤を持ち込み,最適な鍵盤を選んで録音に臨んだという。このピアニストらしいエピソードだ。
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