【収録曲】
1 ショスタコーヴィチ: 2台のピアノのためのコンチェルティーノ イ短調 Op.94
2 ラフマニノフ: 2台のピアノのための組曲 第2番 Op.17
3 ストラヴィンスキー: 2台のピアノのための協奏曲
4 アレンスキー: 組曲第2番「シルエット」Op.23より 第2曲『コケット』
5 アレンスキー: 組曲第1番Op.15より第2曲『ワルツ』
ルーカス・ユッセン&アルトゥール・ユッセン(ピアノ)
録音:2020年7月23,24,25日,MCO Studio 5, ヒルフェルスム,オランダ
DG 4855371(セッション)
オランダのピアノ・デュオ,ルーカス・ユッセンとアルトゥール・ユッセンの最新アルバム。ドイツ・グラモフォンからリリースする第7弾目となるこのアルバムでは,アレンスキー,ラフマニノフ,ストラヴィンスキーとショスタコーヴィチに焦点を絞り,ロシアの作曲家たちが2台のピアノのために書いた作品に焦点をあてる。
じつはこのデュオのリサイタルを地元のホールで聴いたことがあり,彼らの演奏はよく覚えている。当時,ユッセン兄弟という名前からドイツ人だろうと勝手に決めつけていた。彼らの名前以上にステージ上の所作が几帳面過ぎるほどシンクロしていたことが,彼らがドイツ出身だろうと思い込んだ理由でもある。歩くときの腕の振り加減,足が床に着くタイミングや歩幅まで見事に揃っていた。それも彼らの演出の一部なのだろうとは思いつつも,寸分違わず同期していた彼らの身のこなしから強い印象を受けた。
そのリサイタルのプログラムは,モーツァルト「2台のピアノのためのソナタ」,シューベルト「幻想曲 ヘ短調」,プーランク「4手のためのソナタ」,ラヴェル「マ・メール・ロワ」と「ラ・ヴァルス」ほかで,演奏面でも信じられないくらい見事なアンサンブルを披露してくれた。兄弟であることの同質性を最大限に活かしたデュオだと思ったものだ。音色は明るく透明で,力強さも備わっている。彼らのピアノの世界へ自然に引き込まれた。ピアノ・デュオのリサイタルは何度か聴いていたが,面白いと思ったのはその時が初めてだった。
今回は伝統的な作曲スタイルの作品から現代的な曲へと順を追って書くことにする。この方が話の内容を整理しやすいから。CDの順番はオープニングにふさわしいショスタコーヴィチで始まり,ロシアのピアノ音楽を振り返るようなアレンスキーで締め括るよく考えられた配列なのだが,話の明快さを優先する。
アントン・アレンスキー(1861〜1906)は,リムスキー=コルサコフに学んだ作曲家。チャイコフスキーに似た作風で知られ,ロマンチックな叙情に彩られた作品を数多く残したとされる。ピアノのための組曲は第1番から第4番まで4曲書いている。いずれも2台のピアノのための作品で,彼のピアノ作品の中でも中核を占める音楽らしい。その中でも組曲第1番と第2番は重要な作品のようだ。
組曲第2番は「シルエット」という題名が付けられている。「ぺダンティック(フーガ)」,「コケット」,「道化」,「夢見る人」,「バレリーナ」の5曲からなる。「コケット」はシンコペーションのようなリズムにのせた舞曲風の作品。貴族の夜会で参加者がダンスに興じる様子を思わせる。組曲第1番は「ロマンス」,「ワルツ」,「ポロネーズ」で構成され,この組曲の「ワルツ」も「コケット」によく似た雰囲気を持つ作品だ。こちらは伝統的な「ワルツ」の様式により忠実で,夜会の雰囲気はあるものの「コケット」よりも遊びは随分少ない。
ルーカスとアルトゥールのピアノは徹頭徹尾現代的で,ロシア貴族の夜会とは縁遠いようにきこえる。だが,アレンスキーのロマンチシズムも巧みに抽出して,速めテンポと美しいタッチで表現してみせる。21世紀ヨーロッパの企業家などが開催する絢爛豪華なパーティといった趣である。煌々と光り輝くシャンデリアに照らし出された大きな広間。その空間で会話を交わすセレブたち。そんな催しを演出するBGMのようだ。
ラフマニノフの「2台のピアノのための組曲 第2番」は,アレンスキーのロマンチシズムからロシア・ピアニズムのヴィルトゥオージティへの移行期に書かれたような作品。「序奏」,「ワルツ」,「ロマンス」,「タランテラ」の4曲で構成。ラフマニノフのヴィルトオーゾな側面とダイナミズムが特徴。同時にこの作曲家の美しいメロディーも健在だ。第1曲「序奏(Introduction)」は推進力に満ち,規律のとれた軍隊が入城するような情景を音楽で表現したかのよう。第2曲「ワルツ」は,表題がなければワルツにきこえないくらいデフォルメされている。第3曲「ロマンス」は翳りを帯びた内省的な音楽。この「ワルツ」を書いた時期,アメリカへの移住や彼の作品に対する厳しい評価など心理的な困難に直面していて,そうした事情が「ワルツ」に投影されているのではないか。第4曲「タランテラ」はイタリア滞在中に書かれた。一転してラフマニノフに心理的なエネルギーが蘇ったようで,少し悪魔的な雰囲気も漂う。
この作品では,ルーカス兄弟のアンサンブルに唖然とさせられる。寸分の狂いもない演奏は一人でピアノを弾いているよう。これだけテンポの速い曲,しかも高度な技巧が要求されるこの組曲を二人のピアニストがこれほど高い水準で弾きこなすのはただごとではない。惜しむらくは,ピアノの響きにもう少し深みがあれば申し分ないのだが。しかし打鍵を強く深くすると,この速さと精確さを維持するのは難しくなるのだろう。
ストラヴィンスキーの「2台のピアノのための協奏曲」を聴いていると,アレンスキーの組曲からかなりの時間が経ってしまったことを痛感する。この作品が「春の祭典」の影響下で書かれたことがよくわかる。作曲家は「春の祭典」のような形のないカオス的な世界を「2台のピアノのための協奏曲」で表現したかったのではないだろうか。
ただし,ユッセン兄弟の演奏でこの曲を聴くと,原始主義の側面よりも新古典主義的要素を強調した解釈のようだ。より正確に言うと,ストラヴィンスキーは作曲技法の基本を新古典主義とした作曲家なのではないかと考えたくなる。彼は「春の祭典」のようなある種のカオスに惹かれていたのだろうけれども,それを表現する音楽語法は新古典主義だという作曲家だったのではないか。事実「2台のピアノのための協奏曲」は,第1楽章,Con moto,第2楽章,Notturno,第3楽章,Quatturo Variazioni,第4楽章,Prelude e Fugaの新古典主義を連想させる4つの楽章で構成されている。我田引水の誹りは免れないだろうが,ストラヴィンスキーの背後には新古典主義が控えているのだろう。ルーカスとアルトゥーロ,2人のピアニストは,図らずもこの点を白日の下に晒してくれたように思う。もちろん彼らの演奏スタイルは新古典主義に親和的であるという点は見逃してはいけないけれど。
ショスタコーヴィチの「2台のピアノのためのコンチェルティーノ」は,新古典主義の世界からショスタコーヴィチ特有の世界へと聴く者を導く。10分足らずの単一楽章の作品だが,メロディーの扱いにしても,リズムの扱いにしても,ハーモニーにしても,どこをどう切ってもショスタコーヴィチそのもの。冒頭の重苦しく重厚な響き,それに続くテンポを落として弾かれる透明感あふれる一節,次にまたテンポ・アップして躍動する旋律,再度テンポを落として低音を強調したフレーズ,最後に透明で明るいメロディーと暗く重苦しい旋律が交互に組み合わされた箇所を経過して締め括られる。
ユッセン兄弟は,比較的明るい明晰な音でショスタコーヴィチの作品を弾く。惜しむらくは若干表面的な音楽に聴こえなくもない。
このアルバムは19世紀の終わりから20世紀にかけて活動したロシアの作曲家のポートレートでもあり,ロシア音楽の変遷史でもある。ロシアの作曲家たちは,2台のピアノのための作品を多く残しているそうで,2台のピアノによって,いつもとは少し異なる切り口からロシアの作曲家たちや音楽史を描いた興味深いアルバムである。ユッセン兄弟の演奏テクニックも見事だが,それに劣らず彼らの目のつけどころも一流である。
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