墳(ふん)せずんば啓(けい)せず、
悱()せずんば発(はつ)せず。
一隅(いちぐう)を擧あげてこれに示し、
三隅(さんぐう)を以て反(か)えさざれば、
則(すなわ)ち復(ま)たせざるなり。
・・・・・述而篇
<現代語訳>
やる気がないようなら教えも導きもしません。答えがわかっているのに言葉が見つからないでむずむずしているようでなければ「こういうことですよ」と教えてあげません。
一つ例をあげたら、違う例を挙げて聞き返してくらいでなければもう二度と指導しようとは思いません。
※ 憤(ふん)とはやる気が盛り上がってきた状態。分かりそうで分からずわくわくしている状態。
悱(ひ)とは、言いたいことが口元まで出かかっている状態をいう。いえそうでいえず、口をもぐもぐしている状態。
<解 説>
これは生徒に意地悪をしている言葉でありません。
人の気づいていない部分を教えてあげて、その人の意識を高めるという意味の「啓発」という言葉がありますが、そのオリジナルがこの「論語」の言葉なのです。
つまり、やる気というものは、本人からしか出てこないもので、そういう人でなければ教えることができないといっているのです。
学ぶことが大切といっても、自分から学ぶ姿勢がなければ何も身につきません。やる気というのは、人にもらったり教わって身に付くものではないのです。
また、教えるほうにとっても、読めない文字のことや、問題の解き方を教えることはできますが、やる気の持ち方だけは教えることができないのです。
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