父が予科練に志願した理由などは生前自らネタにしており、
わたしも子どもの頃から聞かされ知っていましたが、
昭和20年8月15日に寝過ごした話しはかなりあとになってから聞きました。
投降することを前提に志願した父とは言え、
海軍基地にいながら終戦の詔勅をまともに聞かなかった
と言うのはさすがにバツが悪かったようです。
一応、言い訳をしておくと、
父が寝坊したのは前夜なかなか眠れなかったからだったそうです。
なにしろ重大発表があると聞かされていたので、
終戦なのか?それとも本土決戦なのか?
考えていたらなかなか寝付けなかったのだとか。
でも基地にいた全員が同じ気持ちだったと思うので、
それが寝過ごした言い訳にはならないと思いますが……。
医務室に行くよう指示したのは直属の上司である班長でした。
父が運の良いのは、
この班長がすこぶる優しく人間味のある人だったこともでしょう。
班長は関西の出身で偶然 父の養母と同郷だったため、
班長がついうっかり方言を使っても、
その意味を瞬時に理解して同じ方言で返すことが出来たので、
より親しくなれたのも良かったと父は言っていました。
優しい班長の心遣いで医務室で二度寝を決め込んでいた父も、
スピーカーから重大放送が始まると起き上がり直立不動で放送をききましたが、
スピーカーからの距離が遠かったためまともには聞こえませんでした。
戦争が終わったんだなとハッキリ理解出来たのは、
放送が終わったあと窓の外からすすり泣く声が聞こえてからだったそうです。
取り敢えず医務室からいつも寝泊まりしていた部屋に戻った父は、
かなり経ってから班長に外出許可を貰って最寄り駅に向かい、
靴底に隠し持っていた現金を使って一番早い東京行きの列車のチケットを買いました。
早いと言っても列車のダイヤは乱れに乱れなかなか空きがなかったので、
買えたのは1週間後のチケットでした。
これまた父の悪運が強いところなのですが、
父のいた隊は見事に1週間で解散になり各人帰郷が許されることになるのです。
普通はそれからチケットを買うのでなかなか帰郷出来ないのですが、
とっくにチケットを買っていた父は解散の日の昼には、
隊から貰ったお米と毛布を詰め込んだ背嚢を担いで東京行きの列車の中。
そして、終戦から10日も経たずに東京の養父母の家に帰りつき、
1年余りの父の軍隊生活は終わりを告げたのでした。
運良く8月中に帰宅出来た父は、
数日後、2学期から復学する手続きのため在籍していた旧制中学に向かいましたが、
そこで驚くべき事実を教えられました。
父の在籍していた学年の生徒は、
3月8日の東京大空襲の日、勤労動員に行っていた工場が直撃を喰らい、
父のように軍隊に志願した1名とお腹が痛くて工場を休んだ1名を除き、
全員が亡くなっていたのです。
軍隊に志願した者が何事もなく生き残り、他の同級生が亡くなるとは……
「人間の運命とは分からないものだなあ」
としみじみ言っていた父の横顔は今でも忘れられません。
(おわり)
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