今朝は5時に起床。
眠たかったが、9時までに二個は卵を孵して空きスロットを作らねばならないので、気合を入れてモバイルバッテリーまで装備して出かけた。モバイルバッテリーはお尻のポケットに入れていた。
それがまずかったんだよ。せっかく日の出前に出かけたのに、最初のポケストップで座ったら、バッテリーが滑り出てきて落ちそうになる。落としはしなかったのだが、一緒に突っ込んでおいた大叔母さんの形見のハンカチがない。
周りを見ても落としていない。道中に落としたらしい。まだ400mほどしか進んでいないので家まで戻ってみる。しかし見つからない。
もしかして座った瞬間に落とした?
もう一度ポケストップに戻って周辺を探してみるが見つからない。
これだけ探して見つからないのは、家の中で落とした?
そう思って、もう一度家に戻る。そして裏口から入って台所・廊下・応接間を探すが見つからない。
神隠しかあ?
そーは言っても、たかがハンカチ一枚でしかないが、大事なハンカチ。朝からの行動をもう一度振り返ってみるがわからない。仕方ないので、いったん休憩して洗濯物を干すことにした。いいお天気なので早く乾きそう。もうすでに太陽の光がそそいでいる。
そのあと落ち着いて考える。庭で出てきた燃えないゴミをベランダの隅にまとめてあって、今日はゴミの日だったのでそれをまとめて出した。その時通ったルートをもう一度探してみる。
見つからない!?
なんで、どーして。
ふと足元に目を落としたとき、玄関横のシダの陰になにやら青いものが、
あった、見つかった。大事なハンカチ奪還。
これでくたびれて、もう歩く気が失せてしまった。
既に卵は一個孵化していたので、2キロの卵を仕掛けて少しだけ歩くことにする。なんでもキャンペーンで距離4分の1で孵ることになっているので、実質500m歩けばよい。サクッと一個孵して終わり。
今日はこの出来事一日引きずってしまい。色々はかどらない一日に。
昨日は、エロイカが全然弾けなかったので、3楽章(スケルッツオ)の頭から丁寧にさらってみたけど、難しいね。ベートーベンは偶数ポジション攻略してなんぼなんだが、単一ポジションだけで解決するはずもなく、色々試しながらやっている。多分器用な人だと奇数ポジションだけで弾けてしまうのだろうが、私はとても不器用なので、フィンガリングを単純化する努力は惜しめない。移弦も極力減らしたい。
結局、まだ繰り返しまでも行ってない。
FF6は、かなりやり込んだゲームなので思い出は沢山あるが、キャラを丁寧に育てて、アイテムなども工夫して魔法回避率も物理攻撃回避率も100%を超えるパーティーを作った。相手の攻撃が全く当たらない、という夢のパーティーだったんだが、友人に貸した時にセーブデータを消されてしまっていた。(ちゃんと消さないように頼んだのに、、、)
他には、セリス・セッツァー・エドガーの3人だけでエンディングまで行ったとかかな。「くさい息」で眠らされてしまうと誰にも起こしてもらえないので詰んでしまい。またセーブポイントからやり直し、を繰り返して最後にケフカを倒すまで、割と時間が掛かったが面白かった。そういう遊びをやるために最初のセーブポイント以外では全くセーブをしないでプレーを繰り返し、オープニングからレベル99で始められるようにしたんだよね。(やりすぎだね)
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■ファイナルファンタジー6の思い出 「シャドウ見捨てて一からやり直した」「おじいちゃん、魚よ。食べて」
(キャリコネ - 10月12日 19:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=6265840
今日はネガティブな話題一切なし! 純粋に楽しかった思い出について振り返りたい。その題材は『ファイナルファンタジーVI(以下:FF6)』である。
1994年4月に、当時のスクウェアがから発売された本作は、スーパーファミコン専用ソフトとしては出色の完成度を誇るRPGだった。なんてことはいちいち説明するまでもないだろう。その傑作について振り返ってみたい。(文:松本ミゾレ)
「バニシュ→デスでボス瞬殺」 懐かしのFF6をもう一度語ろう
今回FF6の話をするにあたっては、ガウの「あばれる」をマスターさせた経験を持つ(魔列車のオーバーソウルに遭遇し損ねて終盤で1からやり直した経験あり)僕自身の思い出だけで十分語り尽くせるんだけども、ちょっと参考にするトピックを編集部に見つけてもらった。
それがガールズちゃんねるの「ファイナルファンタジー6のトピ」である。トピックの性質上、女性が多いんだけども、女性ユーザーも多いFFなので当然6もまた、遊んだことのある女性は多い。年齢的にはアラフォーぐらいだろうか。
そのお姉さんたちが当時を懐かしむ書き込みをしているので、いくつか引用させていただきたい。
「シャドウがエンディングで遺影みたいになってる」
「初見でガイドブックなんか見てないからシャドウ見捨てて一からやり直した私」
「世界崩壊後の最初で魚の見分け方がよくわからず、頑張ったけどシド死なせちゃった…ごめん」
「仲間の幽霊可愛かった」
「ボスにバニシュかけてデス唱えればボス瞬殺」
シャドウに関しては、中盤の山場である魔大陸浮上イベントで脱出の際に彼を待たずに飛空艇に乗ってしまうと死亡扱い。その場合、エンディングでシャドウのテーマアレンジがかかるタイミングでは、たしか彼の出身地の映像が流れるだけなんだよね。
ただ、かと言って魔大陸でシャドウと一緒に脱出してもエンディングでは相棒のインターセプターという犬を振り払って、自分は崩れ落ちるラストダンジョンからの脱出を拒むという。
インターセプターも名残惜しそうに飼い主から離れるけど、いざ最後の場面になると飛空艇ファルコンのデッキにその姿がない。個人的には一度シャドウから離れたけど、やっぱり最終的には彼と運命を共にしたんだと思う。
あと、一時的に仲間になってくれるキャラクターが多いのもFF6の特徴。バナンやビックス、ウェッジ。それからレオ将軍という面々の中で、魔列車で遭遇する“ゆうれい”が可愛いという声もあったが僕も同感。最終的には魔列車との戦闘前に離脱してしまうけど、なんとも可愛いキャラクターであった。
崩壊後の狂信者の塔最上階で戦うマジックマスターというボスが全く同じドット絵なので「まさかあのときの幽霊! 仲間になってくれるのか!」とぬか喜びした記憶もある……。
パーティキャラ全員主人公というのは90年代のトレンディドラマ風で良かったよね
ところでFF6の主人公は誰か? という疑問はたびたびファンの間から噴出する。一応メインビジュアルは魔導アーマーに乗ったティナだし、後半の世界崩壊後に各地を駆けずり回って散らばった仲間を集めるのはセリス。
だけどシーンによってメインを張るキャラが移り変わっていくので、本作は基本的に操作できるキャラがみんな主人公という形式になっている。これはそもそも登場人物の群像劇として描くというスタイルにこだわった結果のようで、ウーマロやゴゴのような、加入があまりに遅いメンバーを除くと、まあ上手く行っているように思えた。
それに、ウーマロもゴゴも参戦こそ遅いけど、2人とも戦闘ではかなり個性的な活躍をするので、そういう意味では連中もまた主役を張れる。
この群像劇形式は、なんかリリース当時の90年代によくテレビで放映されていたトレンディドラマの形態に似ているなぁと以前から思っていたんだよね。それこそ1993年放映の『ひとつ屋根の下』のような。FF6はそういう、時代の産んだストーリー展開も特徴のように思える。
エドガーとマッシュの兄弟愛とか、ロックの“自分が惚れた女”のために奔走するも結局報われずというシナリオとか、ガウが捨て子から野生児となり、父親と再会するも……な悲話とか。そういった人間ドラマが折り重なっているFF6は、しかもゲームシステムも複雑になり過ぎることもなく、ユーザーフレンドリーな作りをしていた。ドラマの続きが気になるような感じでストーリーを追っていたものである。音楽も良かったもんね。
ちなみに、個人的に一番グッときたシーンは、崩壊後の世界で飲んだくれてたセッツァーがセリスの来訪によって再起し、親友ダリルのかつての愛機・飛空艇ファルコンを起動させるという場面。夢を取り戻したセッツァーの操縦で海面から勢いよく浮上するファルコンと、ここで初めて流れる崩壊後のフィールドテーマ「仲間をもとめて」の親和性が高すぎるのだ。あまりに感動して飛び回っていると、デスゲイズと遭遇して全滅するまでがワンセットだけど。
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