「浮足立つ」異なる解釈が増
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僕の仕事は語学教師としては、恣意的だけれど「何が正しくて何が誤りか」に注意して、ある程度規範文法に則って教えています。
しかし、もう一つの専門、理論言語学の方では、あくまでも母語話者の直感に基づいて理論を構築するので、根底にあるイデオロギーは記述文法という、まったく正反対です。
言語学的にはいわゆる「ら抜き言葉」は一段動詞と五段動詞の歴史的要因によるいびつな関係を論理的な形に戻そうという日本語母語話者が無意識に行っている行動が根底にあります。
ですから「ら抜き言葉」は汚い言葉遣いでもなく、非常にロジカルなものではあるのはよく理解しているのですが、自分がいざ日本語を話すとなると、どうしても日本語教師の性というか、ある意味現代日本語としては不自然だし、曖昧になる(「食べれる」だと「食べることができる」という可能の意味、「食べられる」は受身、あるいは敬語、というように区別ができて便利ですが、ら抜きをしないと可能なのか、受身なのか、敬語なのか、文脈でもわかりにくいケースがあります)という悪い点があることは重々承知しながら、やっぱりら抜きができないヘタレな自分がいます。
国語辞典でも規範的な明鏡国語辞典、記述的な三省堂国語辞典の違いが、それぞれの辞書の特徴をよく表していると思います。
「浮き足立つ」明鏡:そわそわして落ち着かなくなる。また、逃げ腰になる。
三国:(1) にげごしになる。(2) そわそわして おちつきがなくなる。 (3) 〔俗〕浮き立つ。うきうきする。
「敷居が高い」明鏡:不義理や面目のないことをしているで、その家に行きにくい。【注意】(1) 程度や難度が高い意で使うのは誤り。
三国:(1) 義理を欠いたりして、その人の家に行きにくい。(2) 近寄りにくい。 (3) 気軽に体験できない。 〔(2)は、おそくとも戦後,(3)は1980年代にはあった言い方)
昔は、「一所懸命」だったとしても、今は99.9%の人は「一生懸命」というように、言葉は常に変化していますから、「浮き足立つ」も「敷居が高い」も、明鏡第20版ぐらいになると、語義として誤用ではなく載せることになるんでしょうね。
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