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2020年03月20日12:44

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第15章 滅・不滅を超越した一者


人はなぜ行いに束縛され、生と死を繰り返すサムサーラ(輪廻・束縛)を繰り返してしまうのか?
アシュヴァッターというインド菩提樹の木を “サムサーラの木” に例え、クリシュナはその原因を教えました。
原因を語るだけではなく 、クリシュナは、どのようにしたら “サムサーラの木” を断ち、人が自由になれるのかについて、この章で語りました。

“サムサーラの木” は、上方に根があるとされます。このアシュヴァッターというインド菩提樹の木は枝が下向きに伸び、枝が地面に接すると、根になり、大地に結び付きます。枝であった部分は幹となり、この木は大きく広がり続けます。
木の根とは、すべてを現わす生の源。目には見えることはできないけれど、 “木がある” ということは確実に “根がある” というとを意味します。

“サムサーラの木”も、そのように必ず “在る” 何かに支えられています。それがブラフマン(普遍な存在)、アートマン(真我、真実)といわれる “存在・意識” です。そして“サムサーラの木” の “根が上方にある” というのは、ブラフマン(普遍な存在)は時間や空間すら支えている微かな存在であるために上方にあるとして例えられています。
その木の枝は肉体と感覚や考えなどの微かな体を構成する5つの要素(空・風・火・水・地)を示し、幹は認識を司る知性に例えられています。
枝にある新しい芽は感覚を惹きつける対象であり、そこから新しい枝が生え、伸びてゆきます。
枝は上方にも、水平にも、下方にものびます。上方は天界へ、下方は動物や虫などの世界へ、水平にのびる枝は人の世界とつながります。葉はヴェーダ(聖典)と例えられます。
前半の章の「ヴェーダ(聖典)」は、個人の “行いと行いの結果” について語り、人をサムサーラ(輪廻・束縛)に縛ります。木の葉が木を養い、守るように、前半の「ヴェーダ(聖典)」はサムサーラ(輪廻・束縛)を養っています。
そして花は行いであり、実は行いの結果を示しています。

感覚を惹きつけるものを望み、自分を縛りつけている欲望を叶える為の ”行い“ を、もし続けたとしたらこの木の枝は無数に伸び、やがて下方に広がり根となり、人をサムサーラ(輪廻・束縛)に束縛します。欲望にとらわれていたら、この “サムサーラの木” をさらに広げ、大きくしてしまいます。

クリシュナは、“サムサーラの木” は知識という刃によってのみ断つことができるといいました。
自分自身の本質を知らないとき、私とは “体・心・感覚の集合体であり、 ”個人“ であると、人は自分を決めつけます。この ”個人“ が行いをし、結果を刈り取る者として存在しカルマの法則(行いと結果の因果律)に束縛されます。
肉体を手放した後、天界にいったとしても、反対に動物や虫として生きる世界にいったとしても、行いと結果の法則に “個人” は縛られ、サムサーラ(輪廻・束縛)は続きます。

知識というのは、自分自身についての真実、そして世界についての真実です。その2つは全く同じアートマン(真我、真実)、ブラフマン(普遍な存在)であると知り、そのことを理解することが、人をサムサーラ(輪廻・束縛)から救います。

なぜなら、自分が全体と同じブラフマン(普遍な存在)という事実を知ることによってサムサーラ(輪廻・束縛)に縛りつけられている “個” の認識がなくなるからです。その時、個人は全体に解放され、個人故のあらゆる問題も手放されます。それがモークシャ(自由)であると言えます。


★ブラフマン(普遍な存在)、アートマン(真我、真実)を、この章では「至高のプルシャ」という言葉で表します。すべてを支える “存在・意識” がプールショータマ(至高のプルシャ)です。



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