二晩あずかったコザクラインコのピーちゃんは今日の夕方帰ったので、また静穏な生活が戻ってきた。今日は、城山の中腹にある展望台まで、ピーちゃんを籠ごと持って一緒に散歩に出かけた。普段すれ違う人とは挨拶ぐらいしかしないのだが、さすがに小鳥を持って歩いていると興味深く話かけてくる人はかなりいる。
ある中年男性
「はなすんですか?」
と聞かれたので、「いや、話はしないです。」
インコの仲間は一応オウムの一種なので、人間の言葉を覚えることもあるのだが、コザクラインコは人間のような発音は余りできない。
でも、あとから考えると、この男性は「放すんですか?」と聞いていたのかな?
鳩じゃないしね。放したら帰ってこれんだろ?
住宅地などで割と問題になる逃げたインコの増殖というのがある。今は人間の食生活も裕福になっているので、仮に籠から逃げ出しても、人の住むんでいる場所ならそれなりに食べ物を獲得して、さらに繁殖したりもする。
冬は寒くて死んだりしないの? と、思わないわけでもないが、もともと野鳥の生存率は1年で2割程度。8割の鳥は他の生き物のエサになってしまい生き残れない。それが自然の食物連鎖なので、逃げたインコもほとんどは他の捕食生物に食べられているはず。逃げれば幸せ、などという悠長なものでもない。
訓練された鳩のように帰巣本能で戻ってくる鳥でも、100%戻ってくるわけでもなく、適当に途中で捕食されてしまうらしい。
たった二晩だったが、鳥をあずかってみて一番気を使ったのは部屋の温度。普通ならストーブを消すような温かさでも、それは私が暖かいと思っているだけで、コザクラインコの場合の推奨室温は20℃といわれる。かなり暖かくしないと実現できない。夜は、暖房付けっぱなしは危ないので、湯たんぽ頼みだが、二晩目はそれでも寒かろうと、もう一個電気行火も追加して籠を温めた。
そうやって気を使った割に、今日は一日そっけない態度をとられていて、体調悪いのか? と、色々気を揉んだ。エサも犬とか猫なら一日2回と決めて適量やればそれを食べていれば分かり易い。ところが、鳥の場合少しずつ食べる、のでどんなタイミングでどのエサをどのぐらいやればよいのか、は普段一緒にいるわけでもないのでよくわからない。
ペレットをやると、食べないで落としてしまい、拾おうともしないのだが、じゃあお腹がいっぱいなのかと思うと、八朔の種をやると節操もなく食べてしまう。ひまわりの種なら喜ぶかと思って手に載せて手を籠に入れると、種は食べないで、手のひらに載って指をかみまくるとか、、、お腹減ってないの?
現代の解釈だと、鳥はペレットだけで良い、ということになっているのだが、ペレットにはくちばしケアの意味もあって硬く作ってある。一口で食べられるわけでもなく、硬いのですぐに水に放り込んだりする。水につけていると柔らかくなる、と思っているからそうするのだが、籠の横につけてある水飲み用の箱は深いので、一度入れたエサを自力で拾い出せない。そういうところは、頭がいいのか、阿保なのか微妙な知能。
帰りの車の中でも、まるで死んでいるかのように静かだった。たぶん車に乗っているのは何されているか分からないので怖いんだろうね。自宅に戻るとまた元気になっていた。
阪神大震災の爪痕、というのは街の中ではほとんど見られなくなった。が山に入ると今でもいろいろある。一番影響を受けているのは、通れなくなった登山道。ほとんどにう回路が設定されて、一応行き来はできるのだけど、震災の爪痕を実感する場所になっている。「ナマズ岩」のように、何百メートルも滑り落ちてきた巨岩もあって、そういう名前のついていないものでも、この岩は上から転がってきたもの、と思わせるものはかなりある。勿論、すべてが阪神大震災の由来、という訳ではないが、そういう岩がゴロゴロしている場所では、今地震が起こったら生き残れないかも、と思わせることはよくある。
地震の例ではないのだが、何十年も前に富士山で落石が起こったときに、かなりの人が犠牲になる中、家族三人で難を切り抜けた例がある。縦に並んで、落ちてくる落石を右へ左へチームワークで全部よけた、という家族がいた。それは、「神業」に近い対応力だと思う。普通は簡単によけたりできない。
テーブルロックの上でご飯を食べている時でも、地震が起こったらこれは転がって、逃げなければ死ぬ、ということは念頭には置いている。そういう場所にいると、自分が乗っている岩から降りたところで、別の岩が上から転がってくる可能性はあるわけで、まああんまり安全とは言えない。
阪神大震災からは25年。東日本大震災が起こった日からも9年が経とうとしている。地震は忘れたころにやってくる、なんていわれるが少なくとも東日本大震災のアウターライズ地震はまだ起こってない。常磐線の全線開通が間近で復興の話ばかりであるのだが、身の回りの防災とか、津波や山崩れなどへの対応の心構えとか、日ごろから手を抜けない部分は多いように感じる。
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阪神大震災25年で復興住宅は
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5923540
阪神大震災で兵庫県内に整備された災害公営住宅(復興住宅)の居住者のうち、被災者として入居した世帯は半数未満となっていることが、毎日新聞の調査で判明した。高齢の被災者が死亡する一方で、非被災者世帯の流入が進んでいるためとみられる。65歳以上の居住者が5割を超える中、3割近くの住宅には自治会がないことも判明。震災から25年を経てコミュニティーの維持が難しくなっている状況が浮き彫りとなった。
アンケートでは、復興住宅を管理する兵庫県と、神戸市など県内11市に2019年11月(西宮市は19年8月)現在の状況を尋ねた。復興住宅には1万7764世帯が入居。被災証明書を提出するなど「被災者枠」で入った世帯は計8724世帯(49.1%)だった。14年11月時点での毎日新聞の調査(西宮、淡路両市を除く)では59.8%で、約10ポイント低下している。
居住者全体の高齢化率は53.2%。もともと自治体が高齢の被災者の入居を優先する方針をとっていたこともあり、県内の公営住宅全体(統計がない淡路市を除く)の43.1%を約10ポイント上回った。高齢で亡くなる被災者も相次いでおり、神戸市や県によると、復興住宅の被災者の世帯数は5年前と比べて共に3割以上も減少している。
一方、借り上げ住宅を除く計179団地のうち48団地(26.8%)で管理運営委員会を含む自治会組織がなかった。特に神戸市では70団地のうち半数の35団地になく、「担い手」不足のため途中で消滅したケースも多いとみられる。
復興住宅を巡っては、駅から遠いなど利便性の悪い場所では空き部屋が増えて高齢者ばかりになる傾向がある。逆に良い場所では若年層が流入するものの自治会への関心が低く、いずれの場合もコミュニティー維持の難しさが指摘されている。神戸市住宅管理課は「人間関係が希薄化する中で、特に高齢者の孤立化をいかに防ぐかが課題だ」としている。【井上元宏】
復興住宅のコミュニティーに詳しい馬場美智子・兵庫県立大大学院准教授の話
復興住宅は被災した多くの高齢者にとって「終(つい)のすみか」だが、新たに入居する若い層は一時的な賃貸住宅としかみていないことが多い。自治会が減ったのは、高齢化に伴い「被災入居者」が減ったことが大きく影響している。孤立を防ぐためには、被災者と非被災者、多世代間の交流を促進し、ゆるやかだが多層的なコミュニティーを作る必要がある。
災害公営住宅(復興住宅)
災害で自宅を失い、自力再建が難しい人のために、国の補助で都道府県や市町村が整備する賃貸住宅。約25万棟が全半壊した阪神大震災では、建物を新築したり民間賃貸住宅を借り上げたりして、約2万5400戸を用意した。当初は応募資格を被災者に限定していたが、1998年ごろから非被災者も入居できるようになった。一方、自宅再建の長期ローンを組めない高齢者が長く入居する傾向があり、孤立防止に向けた取り組みが課題になっている。東日本大震災でも宮城、岩手、福島の3県を中心に約3万戸の整備が計画され、99%が完成した。
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