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2019年08月17日16:31

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プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」(大野和士&バルセロナ響)

演目: 歌劇「トゥーランドット」(新演出)

作曲: ジャコモ・プッチーニ(フランコ・アルファーノ補筆)
台本: レナート・シモーニ/ジュゼッペ・アダーミ
原作: カルロ・ゴッツィ
演出: アレックス・オリエ
美術: アルフォンス・フローレス
衣装: リュック・カステーイス
照明: ウルス・シェーネバウム

トゥーランドット: ジェニファー・ウィルソン
カラフ: デヴィッド・ポメロイ
リュー: 砂川 涼子
ティムール: 妻屋 秀和
アルトゥルム皇帝: 持木 弘
ピン: 森口 賢二
パン: 秋谷 直之
ポン: 糸賀 修平
官吏: 成田 眞
ペルシャの王子: 真野 郁夫
侍女1: 黒澤 明子
侍女2: 岩本 麻里

合唱: 新国立劇場合唱団,藤原歌劇団合唱部,ひわ湖ホール声楽アンサンブル
児童合唱: HBC少年少女合唱団
管弦楽: バルセロナ交響楽団

指揮: 大野 和士

2019年8月4日(日),14:00〜,札幌文化芸術劇場


この「トゥーランドット」は,新国立劇場,東京文化会館,びわ湖ホール,札幌文化芸術劇場による共同制作。この「トゥーランドット」をバルセロナ交響楽団の音楽監督を務める大野和士が中心になって具体化をしたプロダクションである。演出を手掛けたのは,バルセロナを拠点に活動するラ・フーラ・デルス・バウスの芸術監督の一人アレックス・オリエ。演出家は未完に終わった「トゥーランドット」をプッチーニが完成さたとすれば,どのような結末となったのかを強く意識して制作した。オリエはプッチーニが決してこの物語をハッピー・エンドで締めくくることはなかっただろうと確信したという。狂気に満ちた血生臭い「トゥーランドット」が,ハッピー・エンドで終わるのは不合理極まりないという彼の見方が,このプロダクションを貫いている。

まず,幕が開くとトゥーランドットが幼少の頃,祖母が異国の男に陵辱される短い場面が本編の前に挿入される。この事件がトゥーランドットのトラウマとなり,それこそが彼女の残忍さの源であり男性を愛することを不可能ならしめる原因となったとの見立てである。それゆえ,トゥーランドットは物語の最後の最後で,リューが自害に使った短刀を自らに突き立てることで,カラフの愛を拒絶するのである。

これで,どうしてトゥーランドットが数多の男性を拒むのかとの謎に一応の答えが与えられたとしても,そのことが返ってカラフをはじめとする高貴な家柄の男たちがなぜ彼女に魅入られるのかという疑問が必要以上にクローズアップされる結果を招く。このプロダクションでは,この謎に対する答えは何も用意されておらず,前者の謎に対する答えが物語全体の座りの悪さを際立たせた。

アレックス・オリエらによる新演出は,暗く沈んだ黒緑色の石材が基調となった舞台である。あたかもトゥーランドットの抑圧されたリビドーが鬱積するさまを象徴しているようだ。くすんだ濃い色調の石造建築物が,トラウマによって凝固してしまったヒロインの心象風景を表しているようであり,そのような色調が物語の全編を貫いていることは,ナイフを胸に突き刺すことでカラフの愛を拒絶すること予知しているようでもある。

オペラの演出は,その作品が内包する謎に対する演出家の答えであるという側面もある。その場合でも,その答えが説得力を持っていることが,そうした演出を成り立たしめる必須条件でなくてはならない。その点,このプロダクションで提示されたトゥーランドットのトラウマに対する謎解きは,彼女のトラウマに対する説明としてはありうる。だが,そうだとしても,そのことに過度なまで焦点を絞るあまりオペラ全体のバランスを崩してしまったという否定的な側面も思いの外目立つ結果となった。

トゥーランドットの標準的な演出となるには,程遠いプロダクションと言わざるを得ない。その点,先日,他界したゼッフィレッリが手がけたスカラ座やMETなどで採用された,おとぎ話風の演出の方が説得力が高い。物語のディテールが内包する謎に深入りし過ぎることを控え,全体を中国を舞台としたおとぎ話の世界としてまとめ上げた「明るい」色調のお姫様と王子様のお話の方が馴染みやす上に,このオペラでの少し前衛がかったプッチーニの音楽を堪能するにも,よりふさわしい環境を用意してくれるように思う。

もちろん,これが客観的で正当な評価だと強弁するつもりは毛頭ない。最初に観た本格的なオペラが,マゼールの指揮するスカラ座の「トゥーランドット」で,ゼッフィレッリが創り出す夢のような世界が実在することを知り衝撃を受けると同時に,一発で魅了された。個人的にはオペラの原体験であり,重度の歌劇依存症を患う契機になった事故であった。その衝撃に比べると,この「トゥーランドット」は凡庸であり,退屈極まりない。

それは演出に限らず,演奏についても当てはまる。スカラ座のオーケストラとバルセロナ交響楽団とを同一平面で比べること自体フェアーではないだろうし,ゲーナ・デミートローヴァが歌うトゥーランドットをはじめ,ソリストの水準も比べること自体意味をなさないだろう。しかしながら,その差は歴然としている。この「トゥーランドット」を観たからといって,オペラ依存症になる人はいないだろう。一方,この公演の混成チームの合唱は健闘していた。マーラーの「千人の交響曲」の合唱とは天と地ほどの差がある。また,砂川涼子のリューにも合格点を献上しても間違いではないだろう。この日のヒロインは彼女が歌うリュー。

やはり,オペラでもコンサートでも,一流の演奏に接することがいかに重要か痛切に感じた。そして,そのことが聴き続けることの原動力になる。オペラを上演できる劇場が完成した。これを契機にクォリティの高いオペラに接する機会が提供され続けることを切に願う。
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