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2019年07月27日15:13

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PMF GALAコンサート

【プログラム】

第1部

[小山 実稚恵]
 1 ショパン:ワルツ 第6番 変ニ長調 Op.62-1「子犬のワルツ」
 2 ショパン:ピアノ協奏曲第2番より第2楽章「ラルゲット」(ピアノ独奏版)
 3 ショパン:ワルツ 第2番 変イ長調 Op.34-1「華麗なる円舞曲」

[郷古 廉]
 4 J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番BWV 1006からプレリュード
 5 イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番Op.27-2から第1楽章

[PMFヴォーカル・アカデミー,PMFオーケストラ,ギャレット・キース指揮]
 6 ヴェルディ:歌劇「リゴレット」第3幕から四重唱「美しい恋の乙女よ」

[PMFウィーン,ベルリン他]
 ヨーゼフ・シュトラウス:「うわごと」Op.212

第2部

 1 J.アダムズ:ライド・イン・ファスト・マシン
 2 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35
 3 プロコフィエフ:交響曲 第1番 ニ長調 Op.25「古典」
 4 R.シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」組曲 Op.59

郷古 廉(ヴァイオリン独奏)
PMFウィーン,PMFベルリン,PMFオーケストラ(管弦楽)
マリン・オルソップ(指揮)

2019年7月14日(日),2:00pm,札幌コンサートホール

N響の札幌公演の翌日,PMFのGALAを聴く。前日のN響とは好対照のコンサートだった。前者が技術的な完璧さを最優先にした演奏なら,後者は音楽を演奏することの楽しさを前面に押し出した演奏である。違いはそれだけにとどまらず,海外と国内との音楽文化の相違,ひいては音楽観の違いが強烈な印象を残す。音楽が感情を表現する芸術だとすると,躊躇なく後者に軍配を上げる。国内の演奏家によるコンサートの典型のような第1部に関するコメントは省いて,第2部について書くことにする。

ジョン・アダムズの「ライド・イン・ファスト・マシン」は初めて聴く作品。1986年に書かれたこの曲に関するコメントも省略する。この楽曲に関する記憶がほとんど残っていないので。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は,ソリストの演奏に最大限寄り添ったためか,第2部の演奏曲目の中では,一番N響の演奏に近い。自由奔放なチャイコフスキーを期待したが,指揮者もオーケストラも独奏者のサポートに徹する姿勢が顕著だった。たしかに,悪い演奏ではなかったものの,独奏ヴァイオリンの響きが,もう少し強靭で輪郭の明瞭なサウンドであれば,この作品のイメージに沿った演奏になったような気がする。おそらく,このソリストの持ち味なのだろうけれど,随分と柔らかい響きのヴァイオリンだ。オーケストラをバックに従えると,ソロ・ヴァイオリンの音がオーケストラの響きに溶け込んでしまい,ソロとオケの区別がつかないような風に聴こえてしまう。オーケストラも指揮者もそのことを意識してオーケストラのパワーを抑えるので,ますますチャイコフスキーの泥臭さやロシア音楽の力強さが後退する。とても大人しいチャイコフスキーになってしまった。

プロコフィエフの「古典交響曲」は,この大胆なリズムと豊かな色彩感に彩られた歓喜の音楽という特色を80%くらいは表現できていただろうか。まだ,チャイコフスキーの影響を引き摺っているようだった。颯爽とした第1楽章は,スピード感が物足りない。テンポはそれなりに速いとしても,颯爽とした音楽というより,ややもたついた感じを拭いきれない。第2楽章の弦楽器による優美な旋律もやや重すぎて,優美さを十二分に表現できていない。第3楽章のガヴォットからは,本来の調子を少し取り戻した感がある。終わりに向かって疾走するような第4楽章では,速いテンポで演奏されたものの,分散和音の第1主題と躍動的な第2主題とのコントラストがやや甘くなりがち。爽やかな後味を残してフィナーレになだれ込むとまではいかなかった。

R.シュトラウスの「ばらの騎士」組曲は,この演奏会の白眉。「ばらの騎士」組曲の演奏では,この教育音楽祭で講師陣を務めるPMFウィーンとPMFベルリンがオーケストラに加わる。彼らはヨーロッパの主要オーケストラの首席指揮者たちで,PMFに参加する学生たちを指導する役割で参加していると同時に,PMFの各種演奏会でもソリストなどとして参加する。PMFの講師陣がオーケストラに加わることで,それまで切れ味の乏しい,やや湿ったような演奏に終始していたPMFオーケストラに喝が入る。講師陣が加わることで反応が鋭敏になったオーケストラから,指揮者のマリン・オルソップがインスピレーションを得て,それがオーケストラを鼓舞するといった好循環が生まれる。

「ばらの騎士」組曲はオペラのダイジェスト版のような作品で,初演時に聴衆の顰蹙を買った第1幕の前奏曲に始まり,第2幕でオクタヴィアンがゾフィーに銀のバラを贈呈する場面,若い二人の二重唱,悪者役のオックス男爵の下品なワルツ,オクタビアン,ゾフィー,元帥夫人のえも言われぬ甘美な三重唱,それに続くオクタヴィアンとゾフィーのデュエット,最後はオクタヴィアンのテーマで幕を閉じる。曲の後半は世紀末の爛熟したロマンチシズムが横溢する名演。これまでに観聴きした数々のステージや録音を思い出す。

音楽は感情を表現する芸術であり,楽しみながら演奏するものだというのは学生のオーケストラでも感じられたが,熟し切った果実のような甘美さはPMFの講師陣が加わることで実現できた可能性が大きい。彼らのオーケストラ・ピットや演奏会のステージ上での経験が物を言ったように思う。聴衆にとってはもちろんのこと,PMFの参加者たちにとっても得難い経験だったに違いない。とにかく,演奏を存分に楽しみつつ,退廃的な甘美さを表現する経験をベテラン演奏家と共にできたことは,彼らにとって大きな財産となるに違いない。国内の演奏家や演奏団体,そして多くの聴衆がこのような演奏の価値に気づいて欲しいものだ。

ところで,海外の演奏団体の日本ツアーでこうした演奏を常に聴くことができるとは限らないのはどうしてだろう。修行中に持っていた音楽を楽しむ心(musizirenする心)を忘れたからなのだろうか。それとも,日本ツアーではそこまでやる値がないと考えているからなのだろうか。
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