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2019年06月09日20:46

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横山幸雄:華麗なる4大ピアノ協奏曲の饗宴

【プログラム】

1 ベートーヴェン: ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 Op.73「皇帝」
2 ショパン: ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 Op.11
3 チャイコフスキー: ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 Op.23
4 ラフマニノフ: ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 Op.18

横山 幸雄(ピアノ)
ベン・グラスバーグ(指揮)
札幌交響楽団(管弦楽)

2019年6月1日(土)14:00開演,札幌コンサートホール


有名かつ人気の高いピアノ協奏曲4曲を1回の演奏会で弾いてしまう,やや無謀ともいえるコンサート。通常ではありえないプログラムの企画を立て,無理を承知で実行してしまうのがこのコンサートのミソだろう。また,これら4曲のピアノ協奏曲を一度に聴けるというのは,聴く側に大きなアピールとなる。あざとさと巧妙さがないまぜになった仕掛けである。まんまとそれに引っ掛かって聴きにいったのだが。

この4曲の中で,ピアニストのテンペラメントにピッタリだったのが,ショパンのピアノ協奏曲第1番。ピアニスト,オーケストラ,指揮者がそれこそ三位一体となって,ショパンのロマンチックな世界を描く。横山幸雄というピアニストのことは知らないが,彼にとってショパンは自然に共感できる,相性抜群の作曲家なのだろう。このピアニストの音楽性の核には,ショパンの作品群があるはず。ピアニストと演奏曲目とが自然に共鳴し合っているので,オーケストラも指揮者も伴奏はそれほど難しくはなかったはず。奇を衒わず標準的な解釈と表現で十分な演奏効果を挙げることができる。音楽好きがイメージするショパンのピアノ協奏曲第1番そのものといった演奏が功を奏した。

ショパンの次に良かったのが,ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。この作品もショパン同様ロマンチックな雰囲気に満ちた作品であり,ピアニストとの相性もその点では良好だったといえる。とはいえ,横山幸雄のラフマニノフにはこの作曲家特有の濃厚なロマンチシズムが十分だったとは言い難い。さらにいえば,世紀末ヨーロッパの爛熟したロマン主義とロシア音楽の豪放磊落さとがないまぜになったスケール感を十全に表現し得ていない嫌いがある。作品そのものが持つスケールの大きさが10だとすると,この日の演奏から聴き取れたスケール感は,せいぜい7か8。ラフマニノフの音楽が持つ強固な骨組み,壮大なスケール,むせ返るロマンチシズムには及ばない。音楽の背後にあるロシアの雄大さを表現できなかった。オケと指揮者も,この弱点を補うには至らず,ピアニストのレベルに合わせただけでそれでよしとしていた。

ラフマニノフのピアノ協奏曲以上に,土着的なロシア的色彩がより濃厚なチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番では,ピアニストの弱点がより露わになった。ピアノ演奏にパワーが不足している。打鍵が浅過ぎる。さらに,アーティキュレーションが甘い。確かに楽譜どおりに弾いていることは間違いないのだが,表面的に正確無比に弾いていたとしても,作品の秘める大地の底から湧き上がるような情感を表現するには,力強さやスケール感が物足りない。その物足りなさを自覚しているが故に,表面的な正確さでそれを糊塗しようとする意図が図らずも明らかになる。そのような矛盾を解決していないからこそ,アーティキュレーションが曖昧模糊に。このピアニストはチャイコフスキー弾きではないのだろう。少なくとも,チャイコフスキーのピアノ協奏曲を弾きこなすタイプの演奏家ではなさそうだ。オーケストラと指揮者は自分たちのチャイコフスキーのピアノ・コンチェルトをピアニストにぶつけることは避け,独奏と伴奏の乖離を最小限に抑えることを最大の目標にしていたように映った。まあ,それ以上の対応はなかったかも知れない。

ベートーヴェンの「皇帝」が,いちばんチグハグな演奏だった。元来,この作品を理想的に演奏するのは至難,というかほぼ不可能に近いような気がしないでもない。これまで幾度となく聴いたステージや録音でも,100%満足する演奏は極めて稀だった。ただし,その点を十分に割り引いたとしても,この日聴いた「皇帝」に対する不満は同じ。しつこいようだが,そもそも横山幸雄はベートーヴェン弾きなのか疑いたくなる。もちろん,プロのピアニストであり,ベートーヴェンをフィーチャーしたプログラムでリサイタルやコンサートを行っているので,ベートーヴェンを演奏してビジネスが成り立っているのは事実。もちろん,演奏のどこかに致命的な疵があったわけではなく,譜面に書かれた音符を正確に音に移していた。では,なぜ演奏がチグハグだと感じたのか。独奏と伴奏に小さな齟齬があったことも一因である。なにより,ピアニストとオーケストラあるいは指揮者との間で,「皇帝」に対する同じイメージが共有されていなかったことが根本的な要因である。もう少しその要因を深く掘り下げると,ピアニスト自身が抱く「皇帝」のイメージが十分に鮮明ではなく,オーケストラや指揮者,ひいては聴衆に明快に伝わるほど練り上げられた「皇帝」ではない。「皇帝」の解釈や表現に対する自信のなさが,このチグハグの根本的な原因である。あるいは,「皇帝」に対して明確なイメージを持っていたとしても,それを100%表現するテクニックにかけていたのかも知れない。いずれにせよ,横山幸雄はベートーヴェンと深いところで交感してはいないだろう。そして,この「皇帝」という作品を演奏することで,何を表現したいのかが,何も伝わってこない。まるで「皇帝」という作品を演奏すれば,聴衆は喜ぶに違いない,と決めつけたような演奏だった。図らずも,作品そのものに寄りかかった演奏だということを露呈する結果となった。

これまで,相当辛口なことを書き連ねてきたが,この4曲のピアノ・コンチェルトを最後まで弾き切ったスタミナは,ある意味見事だった。いろいろと不満はあるものの,あのレベルの演奏を3時間にわたって持続するというのは,綱渡り的な要素が少なくない。それを乗り切ったのは,さすがプロだ。

もう一つ感心したのは,ビジネスとしてのコンサートをマネージメントする手腕である。会場はほぼ満席で,チケットも完売だったのではなかろうか。ディナー・ショーのようなリサイタルを開催するなどファンの心を掴むことにも長けているのだろう。そういう点はステージ衣装に端的にうかがえる。コシノ・ヒロコがデザインしたファッションを身に纏い,コンサートの前半と後半とでお色直しも忘れない。前半は黒のジャケットに,下は裾が極端に窄まった同色のパンツ。後半は演歌歌手のようなラメの灰色のジャケットに,紫色のシャツと同じく裾が窄まった同色のパンツという出で立ち。個人的には共感することが難しいファッションだが,彼の固定客にはアピールするのだろう。そういう人たちは,拍手のタイミングが早過ぎる。音楽を聴きに来たのではなく,横山幸雄がステージで演奏する様子を観に来た人が大半という証左である。演奏家といえども所詮客商売だと割り切るなら,このようなビジネスモデルを一概に否定できないが。

最後に,指揮者のベン・グラスバーグについて。2017年のブザンソン指揮者コンクールで優勝し,最年少でグラインドボーン音楽祭でオペラを振ったのをはじめ,オペラを中心に指揮活動を行っているようだ。たしかに,演奏を整えるのは上手い指揮者かも知れないが,演奏を引っ張ってゆくタイプではなさそうだ。どちらかというと,ソリストなりオーケストなりがやったことを基本的に追認し,既成事実を尊重しつつバランスを整えることが指揮者の役割だと心得ているのではなかろうか。この指揮者は面白くない。

この演奏会を聴いて,本当の意味で,成熟した聴衆が育って欲しいと痛切に感じた。そうした聴衆が音楽活動を支え,良質な音楽を提供させる原動力になる。演奏家が音楽活動の半分を支えているとすれば,残りの半分は聴衆が支えている。
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