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2019年01月24日09:52

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陰徳を積む



前の春日大社宮司・葉室頼明氏はその著「御力」(世界文化社)で、陰徳について次のように書いています。

世の中で一番素晴らしい徳というのは、私は陰徳だと思います。この陰徳というのは、自分以外の人の幸せのために生きるということで、しかも見返りを求めないという行いです。これは人間だけに与えられた素晴らしい特徴で、それによって徳が磨かれていきます。

私は小さい頃より母親から「陰徳、陰徳」と耳にタコができるほど聞かされてきました。友達のためになると思い、何か一生懸命するのに、友達がそれに全然感謝しない。そのことを母にいうと、「それでいいんだ。感謝されないほうがいいんだ」とよく言われました。そのほうが徳というものが自分の身体の中に積まれていく。

その時はそんなものかなと思っていますが、この年になって母の言っていたことは本当のことだとわかるようになりました。

また、大きな努力で小さな結果を求めることも大切なことです。どういうことかといいうと、努力をして、それで100万円儲かるとしたら、その努力の何倍もの努力をするのです。そうすれば100万円以上の余徳が返ってくる。逆に楽をして、ずっと小さな努力で100万円儲かった。これはいずれ災いとなって返ってくるというのが世の中なのです。たしかに自分がした大きな努力のわりに儲けは少ない。しかしその分、徳を積んで続いていくのです。
(以上)

DNA博士と称せられる筑波大学名誉教授・村上和雄先生も、母から陰徳の大切さを繰り返し教えられたといわれています。

陰徳の大切さについては、古今東西を問わずどの教えでも説いているようです

聖書には次のように書いています。
「右の手のなすことを左手に知らすな」
「汝ら見られんために己が義を人の前にて行わぬように心せよ。然らずば天にいます汝らの父より報いを得じ」

「陰徳は天に倉をつくる」とあります。

仏教でも、
「陰徳は福田を耕す」と教えています。
南無の会の前会長だった松原泰道師は、禅門では「陰徳を積む」ということを大切な修行の一つとしているといわれています。

陰徳の教えは儒教にもあり、「陰徳あれば必ず陽報あり」とあります。

そして、日月神示でも、
「人に知れんように善いことつとめと申してあろうが。人に知れんようにする善いこと神心ぞ。神のしたことになるのざぞ」

このように「善い行い」は、自分自身の為になすべきであるということを教えています。
それが他人の目を意識してなされているならば、せっかくの「よい行い」も世間の評価を得るための商売になってしまいます。

せっかく善いことをしても「私がやった」という気持ちを持つと、逆にマイナスのお釣りが付いてくるかもしれません。

なわ・ふみひと氏は「2012年の黙示録」(たま出版)で次のように言っています。
この世界で身につけた財産や地位、名誉などがあの世に持っていけないことは理解できると思います。以下転載。

この世を去ってあの世に行くとき、役に立つのは「身魂の徳だけ」ということです。
つまり、自分が高めた波動だけだということです。「身に付いた芸」はそのまま役立つということですから、仕事や芸術の分野などで磨いた技術は新しい世界でも使えるということですね。このことは、他のさまざまな霊界通信でも言われていることです。

「徳」の場合はやはり陰徳でないといけないようです。新約聖書でもイエスが「天の蔵に積まれる」のは隠れてなされた善行だけだと教えています。他者からの感謝の言葉や周りの賞賛を期待しての善行は、動機が不純ということです。それは本当に相手(対象)のことを思っての善行ではなく、自分のこと、つまり自分が何らかの評価を受けることを第一に考えての行為だからです。

聖書もそうですが、日月神示には「人に知られぬように徳積め」とくどいほど述べられています。それは道徳的視点からではなく、霊的視点からの忠告なのです。つまり、人の波動を高めるために、あえて人に知られないところで善行を行なう必要があるということなのです。

どこからか見返りがくることを打算しての善き行為は、価値が小さいということです。潜在意識はその微妙な心の動きをきっちり把握してしまうからです。
また、陰で隠れて悪い行ないをすると、それもきっちり把握されます。
(以上)


「隠し愛」という言葉があります。

調理のときには「隠し味」を使って料理を一層おいしくします。しかし、その風味が強くては、隠し味にはなりません。
隠し味のコツは「目立たないように、際立たないように、さりげなく」といえます。
それと同じように、愛にもさりげなさが大切だと思います。

誰かが困っているときには、目立たないように、さりげなく救いと手を差し伸べる。
そのような隠し愛から出た行為は相手には容易に伝わらないかもしれません。けれども、それがわかったときに、大きな感動を与えるものです。

このように、穏やかでさりげない「隠し愛」あるいは「隠し善」をもって過ごしたいものです。みんなが「隠し愛」、「隠し善」を持てば、お互いがお互いをかばい合い、助け合うことができると思います。

作家の武者小路実篤さんは次の賛を好んで書かれたそうです。

人知るもよし
人知らざるもよし
われは咲くなり

隠れてすればするほどに光ってくるのが陰徳であると思います。

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