【プログラム】
J.S.バッハ:クリスマス・オラトリオ BWV248(BCJ第130回定期演奏会)
第1部 歓呼せよ,欣喜せよ,さあ,讃えよこの日々を(生誕祭第1祝日,12月25日)
第2部 そして羊飼いたちがその辺りで(生誕祭第2祝日,12月26日)
第3部 天統べ給う君,聞き届けたまえ,舌足らずの言を(生誕祭第3祝日,12月27日)
第4部 ひざまずけ感謝をもって,ひざまずけ讃美をもって(キリスト割礼日,新年)
第5部 誉をおんみに,神よ,歌いまつる(新年後第1日曜日,顕現日前に限る)
第6部 主よ,高ぶる敵ども息まく時(主の顕現日,1月6日)
ハナ・ブラシコヴァ(ソプラノ)
クリント・ファン・デア・リンデ(アルト)
ザッカリー・ワイルダー(テノール,福音史家)
クリスティアン・イムラー(バス)
バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱&管弦楽)
鈴木 雅明(指揮)
2018年11月23日(金・祝),15:00,東京オペラシティ・コンサートホール
バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)でバッハの作品を聴くなら,指揮者は鈴木雅明に限る。そんな思いを強めた演奏会だった。彼の一番の特徴はアクセント。腕の動きを見ているとよく分かるが,強拍が際立つ。古楽器によるバッハの演奏が標準となった現在,アクセントが不明瞭で,ある種の流麗な演奏はもうありえないと思わせるほどの説得力がある。
この日はひときわアクセントが明瞭だ。鋭く,深く,力強いアクセントである。それに加えて,少し速めのテンポが推進力を生み出し,バッハの音楽らしい雰囲気を醸し出す。さらに,この作品の祝祭的な気分さえも盛り上げる。とりわけ,出だしの第1部と最後を締め括る第6部では,トランペットとティンパニがキリストの誕生を祝う気分の表現に効果的である。また,演奏に勢いがある分,トランペットの細かなミスも気にならなくなる。
微小なキズはあったもののトランペットの演奏は満足できるものだった。ティンパニにいたってはとことん納得のいく秀演である。あと,フラウト・トラヴェルソやオーボエのソロも十分に満足できる水準と言っていい。通奏低音も健闘していたし,指揮者が弾くチェンバロも光っていた。ヴァイオリンのソロやデュオもお見事というほかない。
確かに鈴木雅明が指揮するBCJの管弦楽は悪くはない。だが,ステップ・アップするにはより優れたテクニックを持つプレーヤーを多数採用することが欠かせない。国内では最先端をゆく古楽の演奏家たちがBCJに結集しているとしても,世界との差はまだ歴然としている。例えば,ティンパニ奏者。今回,海外から参加したティンパニストが一人いるだけで,演奏が格段に引き締まる。これが他のセクションに広がるだけで,見違えるほど変わるのではないだろうか。そして,そのことがBCJの既存のメンバーのレベル・アップに直結し,BCJの将来的な底上げに貢献することは必至だろう。とにかく,現状のままでは物足りない。
9月にモーツァルトの「レクイエム」を聴いたときよりも,合唱の存在感はより小さく感じた。コーラスのレベルが低下したというより,オーケストラの演奏が充実していたためだ。さらに,「レクイエム」と「クリスマス・オラトリオ」では,合唱が演じる役割が若干異なるという事情もあるだろう。あえて単純化すると,前者では主役だった合唱が,後者では脇役に回るような側面もある。
歌手のソリストではバスのイムラーが威厳のある歌い方で好感を覚える。テノール&福音史家を歌ったワイルダーもしっかりした歌いぶりである。一方,高い声域を担当したリンデ(アルト)とブラシコヴァ(ソプラノ)は,声の出し方がシャープ過ぎて他とのバランスが取れていなかった。おしなべていうと,声楽のソリストのレベルを少し上げるだけで,印象はかなり良くなるはず。10年近く前と比べると,良いソリストを揃えるのに苦労しているような様子がうかがえる。
「クリスマス・オラトリオ」は,キリストの誕生を祝う作品であるばかりか,バッハのカンタータの精髄を集めた集大成のような側面も有する。他のカンタータ作品のパロディが多用されているものの,「クリスマス・オラトリオ」の文脈では,オリジナルとは若干異なる意味合いで機能している場合が多い。その意味で,新たに書かれたものよりも,より創造的な音楽として結実している。
この演奏会では,指揮者の孤軍奮闘のおかげで,ある程度はそうした側面も明らかにされたと思う。だが,ソリストやBCJの水準が向上したならば,その点がより聴衆に伝わりやすい演奏になっていたのではないかと悔やまれる。
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