薩摩に帰っていた西郷さんが、ある日、近くの畑で一日中汗にまみれて働き、夕方、馬を曳きながら家に帰る途中のこと、突然、ものかげから一人の少年武士が現れ、
「おい、老爺(おやじ)! これを修繕してくれ」
と鼻緒の切れた下駄を差し出した。
身分制度のきびしい薩摩では、武士が下駄の鼻緒を通行人や商人に、平気で直させる風習があった。
西郷は、
「へぇ、じきに直して進ぜますから、しばらくお待ち下され」
とていねいに修繕した。
「おまちどうさまで」
と差し出すと、少年武士は、
「のろまだな、こんなことぐらいもっと早くするもんだ」
とお礼も言わずに行ってしまった。
翌年のある日、西郷が知人のところで碁を囲んでいると、その席へうやうやしく茶を運んできた少年がいた。
その顔を見た西郷は、笑いながら声をかけた。
「覚えておるかい。去年の今頃、畑からの帰り道で、下駄の鼻緒を直してあげた老爺(おやじ)じゃ」
少年は肝をつぶさんばかり驚いて、
「知らぬこととはいえ、ご無礼の段、何とぞお許しくださいませ」
と、平伏した。
西郷はそれを手で制し、
「あのとき、わしは土百姓に相違なかったのじゃ。あやまることはない」
と大きく笑いながら、
「ただ、あのときは、いくら武士でも、人を使ったら一言ありがとうのお礼ぐらいはいわぬといかん、と思ったことを覚えているよ」
とつけ加えたということである。
日常における西郷さんの「えらぶらない」人の好さと包容力が出ており、何とも言えない魅力とスゴサを感じます。「能ある鷹は爪を隠す」です。
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