ジェームズ・アレンは著書「原因と結果の法則」で、
「人は誰も、内側で考えているとおりの人間である」という古来の金言は、私たちの人格のみならず、人生全般にあてはまる言葉です。私たちは文字どおり、自分が考えているとおりの人生を生きているのです。なかでも人格は、私たちがめぐらしているあらゆる思いの、完璧な総和です」と述べています。
徳久克己「生命の実相に学ぶ」にもジェームズ・アレンと全く同じことを書いてあります。
「生命の実相」第七巻」に、
人間の感じ――なんとなくその人につきまとっている空気――は、どこからくるのでしょうか?
「諸君はいままで、いくたの人間に接してみられておそらく経験があるでしょう。なんとなく親しまれる感じのする人間、なんとなく近寄り難い気高さの感じをもった人間、同じく近寄り難いのでも、なんのなく棘(とげ)のある感じがして近寄り難い人間、狡猾(ずる)そうな感じがして近寄り難い人間、コセコセした低卑な感じのする人間、そのほかいろいろな人間がこの世に存在することを経験せられてであろう。
人間の感じ――なんとなくその人につきまとっている空気――明るいとか暗いとか温かいとか冷たいとかいうようなその人特有の空気というようなものはいったいどこから来るのであろうか。それはその人の全人格(表面の自覚にあらわれている心だけではなく、全体の心、傾向の心、習慣の心)から来るのである」・・・・以上。
このように説かれています。この「全体の心」、「傾向の心」、「習慣の心」については、この書の後半に「常に善念を把持せよ」に詳しく書いてありますが省略します。
まさに「生命の実相」でも、ジェームズ・アレンのいう「人格は、私たちがめぐらしているあらゆる思いの、完璧な総和」と同じことを述べています。
ジェームズ・アレンはさらに言います。
「私たちの誰もが内心では手にしたいと考えている、気高い神のような人格は、神からの贈り物でもなければ、偶然の産物でもありません。それは繰り返しめぐらされつづけた、気高く、正しい思いの、自然な結果です。そして卑しい獣のような人格は、卑しく、誤った思いの、やはり自然な結果です。
・・・・中略・・・・
正しい思いを選んでめぐらしつづけることで、私たちは気高い、崇高な人間へと上昇することができます。と同時に、誤った思いを選んでめぐらしつづけることで、獣のような人間へと落下することもできるのです。
「人間は思いの主人であり、人格の制作者であり、環境と運命の設計者である」。
・・・・以上。
つねに「常に善念を把持すること、すなわち利他の心、貢献の心、思いやり、感謝の心、貢献の心など持ち続けこれらの善い思いを自分の「全体の心」、「傾向の心」、「習慣の心」にしたいものです。
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