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2017年10月15日13:11

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『追憶のなかの西谷啓治先生』というエッセイ

かつてわたしが同人誌『雲』や『燈影』に書いた西谷啓治先生に関するエッセイは、二種類ある。

一つは、『追憶のなかの西谷啓治先生』というものと『研究ノート・「宗教とは何か」を読む』というものである。

ともにフロッピーに保存してあったのだが、そのフロッピーを上新庄から豊里に引越をした際に紛失してしまったようで、『追憶のなかの西谷啓治先生』に関しては、保存しておいたフロッピーをはじめ、その原稿も何も残ってはいない。

『追憶のなかの西谷啓治先生』というエッセイは、西谷先生の一周忌を機会にわたしが出会った西谷啓治という哲学者、いや、人間・西谷啓治を書いておきたいと思い、書き始めた原稿である。

その『追憶のなかの西谷啓治先生』というエッセイについては、京都大学名誉教授の上田閑照先生から
「西谷先生のまた違った面が見えて、なかなか面白いエッセイだと思っている」
という言葉をいただいたことがある。

しかしそのエッセイが何らかの形で手元にないということはいささか心もとない思いもする。

『研究ノート・「宗教とは何か」を読む」というエッセイは、大谷大学での西谷啓治先生の宗教学文献研究(演習)のテキストは西谷先生の主著である『宗教とは何か』であった。そのテキストを西谷先生にお願いしたのは、わたしである。わたしが西谷先生にお願いをして先生の主著である『宗教とは何か』を読んでもらうことになった。

そのような経緯もあって、わたしは『宗教とは何か』に関するノートを作って授業に出席していた。そのノートをもとに書き出したのが『研究ノート・「宗教とは何か」を読む』というエッセイであった。こちらもフロッピーはないが、かろうじて原稿は残っている。ただ、原稿は『宗教とは何か』全体の3分の1、つまり緒言、第一論文、第二論文で終わっている。あとのブブはどうしてものかと思って、7年間という時間の浪費をしてしまった。

もちろんその間に読んだ書籍の書評なとはこのSNSなどに書き残していたのであるが、しかし西谷先生の『宗教とは何か』という大作の前にオロオロしてしまったのかもしれない。

さて、まずは『追憶のなかの西谷啓治先生』というエッセイを書き起こしていこうかと考えている。その延長で原野栄二先生に関して書いたエッセイも書き残しておきたいと思っている。

独り暮らしを始めて、新しいパソコンも手に入れて、これからゆっくりと過去に自分が書いたものと対話していくのもいいのかもしれない。もちろん、新しい書籍の書評は書き残していきたいと思うが、まずは『追憶のなかの西谷啓治先生』というエッセイから手を付けていきたいと考えている。
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