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2017年10月10日13:18

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西谷啓治先生の「ドストエフスキイ論」という話

昔、わたしが大学院生だった頃の話である。

西谷啓治先生の『ドストエフスキー論』が筑摩書房から�犂愿豸堕雖瓩粘�行されたという�牘臭瓩�流れたことがあった。

「えっそんなことがあるのか?」
と思いつつも、西谷先生ならばあり得る話かもしれないとわたしには思えたからである。

というのも、法蔵叢書の一冊に西谷啓治著『仏教について』という書籍がある。あの書籍について西谷先生にどんな内容なのかをお尋ねしたことがあった。

すると、先生は突然、怒り出し、
「あれは法蔵館が勝手にぼくの話を録音してそのテープを起こして本にした。そして本が出来上がった段階で、出版の承諾を取りに来た。目の前に製本された現物があって出版の許可を取りに来るなど、出版社としては最低のやり方だ」
と、言われたことがあったからだ。

西谷先生の「ドストエフスキイ論」に関して、『ニヒリズム』の末尾に次のように書いておられた。

「本書は、アテネ新書に『ニヒリズム』として刊行されたものと同様、本年五月より何回かに亙って某所でなした話がもとになっている。ドストエフスキイに関する部分を、別に本文庫で刊行するに当たっては、分量の関係上、三冊に分けざるを得なかった。私の話の主眼は『地下生活者の主義』に「観想としてのニヒリズム、『罪と罰』に「行動」としてのニヒリズム、『悪霊』のスタヴローギンに「存在」としてのニヒリズム、『カラマゾフ』のイヴンに「精神」としてのニヒリズム、というべきものを認め、それらの間に、ドスエフスキイにおけるニヒリズムが一歩一歩深められて来た跡を辿ろうとする試みにあった。本書は、その全体の序論に当たる部分と、「観想」のニヒリズムに関する部分とを収めたものであるが、しかしこの文庫の性質上、この一冊としても纏まったものになるように努めるつもりである。」

�燹愧浪疾験莠圓亮腟繊戮法峇兪曚箸靴討離縫劵螢坤燹◆愃瓩犯魁戮法峭堝亜廚箸靴討離縫劵螢坤燹◆悵�霊』のスタヴローギンに「存在」としてのニヒリズム、『カラマゾフ』のイヴンに「精神」としてのニヒリズム、��

という原稿を、西谷先生は本当にまだ書き上げておられないのだろうか、いや、いったん書き上げたうえで、�犲蠶召靴�必要�瓩箸靴憧�の引き出しのなかにしまい込んでおられるのではないか、それはあることで筑摩書房から刊行されることになった。しかしでは�犂愿豸堕雖瓩箸呂匹Δ靴討覆里世蹐Δ�・・・・・・・・・・・

わたしは、大学院の�狹�学文研研究�瓩了�間の冒頭に手をあげて、この「ドストエフスキイ論」が本当に刊行されたのか否かを直接、西谷先生に問い質した。すると先生はキョトンとした顔をされて、
「そんな本の話は今初めて聞いた。君は本のことならば、出れより詳しくわかっている人だ。そんな話はいったいどこから聞いたのか?」
と、反対に問い質されて返答に困ったことがあった。

「ドストエフスキイのニヒリズムについては重要な大部分は未完のままであるが、先生のドストエフスキイ観は『共同討議ドストエフスキイの哲学』(弘文堂 1950年)のうちに鏤められてているし・・・・・・・・・」
と、『西谷啓治著作集 第八巻』の解説文で上田閑照先生が述べられているが、果たして現行は本当になかったのであろうか。

西谷先生が亡くなられた後に、先生の現行整理をやってみないかという話をもらって、わたしはぜひともやらせてほしいといったが、西谷家の人たちがわたしが障害者なのに、そんなことをお願いするのは悪いと実現されなかったことがあった。あの時、もし私が西谷先生の現行整理をしていたら、と思うと、非常に口惜しい気がしてならないのである。
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