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2017年10月08日18:36

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バイエルン国立歌劇場「魔笛」

モーツァルト: 「魔笛」(2幕のジングシュピール)

ザラストロ: マッティ・サルミネン
タミーノ: ダニエル・ベーレ
弁者: ヨハン・ロイター
夜の女王: ブレンダ・ラエ
パミーナ: ハンナ=エリザベス・ミュラー
第1の侍女: ヨハン二・フォン・オオストラム
第2の侍女: ラハエル・ウィルソン
第3の侍女: アンナ・ラフコフスカヤ
3人の童子: テルツ少年合唱団
パパゲーノ: ミヒャエル・ナジ
パパゲーナ: エルザ・ベノワ
モノスタトス: ウルリッヒ・レス

バイエルン国立歌劇場合唱団
バイエルン国立管弦楽団
アッシャー・フィッシャー(指揮)

アウグスト・エヴァーディング(演出)
ヘルムート・レーベルガー(改訂演出)
ユルゲン・ローゼ(美術・衣装)
ミヒャエル・バウアー(照明)
ベアーテ・ヴォラック(振付)

2017年9月29日(金)15:00開演,NHKホール


モーツァルトの「魔笛」は,バイエルン国立歌劇場日本公演2017のもう一つの演目。「タンホイザ」が新演出なら,「魔笛」は旧演出。サヴァリッシュのCDやDVDでおなじみの1974年に初演された,今となっては古典的といってもいいくらいのプロダクション。なので,LPやCDのジャケットに使われた写真,岩山にかかる丸い月に夜の女王が収まったシーンを思い浮かべる人も多いだろう。

もう40年も前に作られたこの「魔笛」の舞台は古色蒼然としているかと思いきや,想像以上に普遍性のあるプロダクションといえる。「魔笛」がハッピーエンドのメルヒェンだとするなら,丁寧に作り込まれたこのプロダクションの成熟度は高い。タミーノとパミーナそしてパパゲーノとパパゲーナの2組のカップルが紆余曲折を経て最後にはめでたく結ばれめでたしめでたしという,このバイエルン国立歌劇場のステージはこの路線のひとつの典型ということができるだろう。「魔笛」を深刻さとは無縁の楽しいジングシュピール(歌芝居)と割り切り,エンターテイメントに徹するところは潔い。登場人物が不安に苛まれたり,恐怖に怯えたりする場面も,楽しい結末が待っていることを暗示するような雰囲気に満ちていて,当事者にとっては悲劇でも第三者には喜劇であることが舞台美術や振付によって仄めかされ,安心して観ることができる。ハリウッド映画並みの楽天主義が支配的だ。

最も好感を持った出演者は,パミーナを演じたハンナ=エリザベス・ミュラー。とにかく音程をはじめ歌唱技巧はほぼ完璧に近く,表現力も十分に豊か。ただ,ソプラノといってもメゾに近いソプラノで,翳りを帯びたやや肉感的な声質でパミーナを歌うと,成熟した女性のようにきこえる。また,3人の童子役で出演したテルツ少年合唱団の子供たちも,およそ少年には似つかわしくないほど技術的には完璧な歌唱で,彼らが登場する場面を歌で引き締めてしまうほどの表現力は圧巻だった。そして,少年たちに負けず劣らず,3人の侍女の歌唱も傑出していた。非日常性を十二分に表現するとまでは言い難いものの,3人のアンサンブルはこれまた完璧に近く,かつ,それぞれのソロも十二分に納得のゆく水準である。この世の存在ではない気配もある程度は出ていた。

タミーノのダニエル・ベーレとパパゲーノのミヒャエル・ナジ,そしてパパゲーナのエルザ・ベノワは,いずれも達者な歌いぶりだったものの標準を少し上回る出来栄えだろうか。夜の女王を歌ったブレンダ・ラエは歌唱上の技術的な破綻は一切ないが,無難に小さくまとまってしまったようで,激しい怒りや憎しみなど情念の表現がいまひとつ真に迫るものが希薄。破天荒な存在であることが伝わってこない。失望したのはザラストロ役のマッティ・サルミネン。音程もテンポも心もとなく,ザラストロらしい威厳に満ちた深く奥行きのある声を聴くことは叶わなかった。この日はたまたま不調だったのか,年齢的な衰えに起因するものなのかわからないが,少しは期待していただけに残念。モノスタトスも狂言回しの演技と歌が空回り気味で,観ていて興醒めする。

アッシャー・フィッシュの指揮は可もなく不可もない,といったところか。どうしても,「タンホイザー」を振ったペトレンコと比べてしまうので,不利な立場になってしまう。オーケストラもペトレンコが指揮したときと比較すると,アンサンブルの精度は落ちてしまうし,音楽の流れ自体もどこか滞りがち。全体的にもかなり粗い印象を与える演奏で,勢いも乏しい。

とはいえ,全てはこのプロダクションのコンセプトに沿った,明るく楽しい「魔笛」だったことは間違いない。アウグスト・エヴァーディングの演出をリメークした「魔笛」からは,エンターテインメントに仕立て上げられたハッピーエンドのメルヘンの楽しさが伝わってくる。馴染み深いプロダクションで集客を図る目的もあっただろうが,興行的な成功を超える舞台の価値に接することができたのは幸運だった。


ところで「魔笛」の前日に,「タンホイザー」を再度観て来た。「タンホイザー」の初日を観て急遽チケットを買ったのではなく,昨年暮から2枚買ってあった。なんとなく前代未聞の上演になりそうな予感がして,ついに一線を超えてしまったのである。でも,2回観たのは大正解で,時間と費用の浪費にならなかったのは嬉しい。前回書いた事に誤りがあったり,新しい発見があったりした。さらに演奏自体もかなり良くなっていて,その収穫は決して小さくない。

まずは間違いの訂正から。序曲が演奏されている間の演出で使われている写真は,タンホイザーでもエリーザベトでもなさそうだ。人物の特定が不能な誰かの目と耳に向かって矢を放っていることを考えれば,共同体からの非難というより官能美に耽溺することへの戒めと受け取るべきなのかも。

そして新しい発見が3つあった。まず,第2幕で,人の足首から下を模した木型の小道具が何十組もステージに配置される。初めて観たとき,何を示唆するのか見当がつかなかったけれど,2回目に観たとき,長く厳しい道のりを自分の足で踏破して,赦しを請いにローマへ赴くことを象徴していることに気づいた。

また,第3幕では,タンホイザーとエリーザベトを演じる歌手の本名の一部,KLAUSとANNETTEと金字で彫られた2つの石棺が登場し,その上に朽ち果ててゆく亡骸が何度も入れ替わりに置かれ,最終的には白い粉末になり,二つの白い粉の山が混ぜ合わされる。この物語が終わった後の2人を表現しているのだろう。

最大の発見は,舞台上では2つの異なる時間が並存しているという演出。人間の顔の写真に向けて矢を射る(序曲),ゆっくりと回転する円盤にどす黒い血の筋を吹きかける(第1幕),地道な肉体的な労苦を象徴する足の木型が並べてある(第2幕),そして2人の亡骸が朽ち果てて行くプロセス(第3幕)は,そのどれもが,その幕の次に起きることの先取りである。つまり,ステージの上では,リブレットに表現された時間の流れと並行して,演出によって新しく付け加えられた時間の推移が並存しつつ流れているのである。ドラマの展開に先行するもうひとつ別の時間の流れを視覚化することによって物語を重層化し,その緊張感や悲劇性を高める効果を狙っているのだろう。最初観たときには,ここまで気づかなかった。もしかすると,これがこのプロダクションの核心なのかもしれない。

さらに,オーケストラも一段と良くなっていた。この日は日本ツアー3回目の最終上演だったので,無用な緊張もほぐれ,オーケストラのサウンドに伸びとツヤが感じられた。そのせいで,表現力も豊かになったよう。1回目のとき同様,第2幕の中盤からオペラが一気に盛り上がるような印象を与える演奏である。

この「タンホイザー」を何度も観るという経験はつねに許される訳ではないものの,ひとつの演目のプロダクションは繰り返し観ない限りその内容を把握するのは難しい場合があることはよくわかった。
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