救急医療の第一線で命と向き合いあう矢作直樹医師の本「おかげさまで生きる」(幻冬舎)より。
命の不思議さを痛烈に実感したのは、臨床現場での数多くの学びのほかに、自分自身が生死にかかわる体験をしたということが大きいと思います。
小学校3年生の時でした。父の後をついて神奈川県の江の島に自転車で行った帰り道、私は車にはね飛ばされました。頭から道路に落ちたせいかその後の記憶がなく、退院時には主治医が「小学校を卒業するまでに亡くなるかもしれない」と母に告げました。どうやら頭の中のねじが何本か外れたようです。
その時の母の厳しい表情は今でもよく覚えています。その後、吐き気やめまいがしばらくは残りましたが、私自身は現在も元気で生きています。
さらに厳しい体験があります。
今から35年ほど前の1979年、私は登山中で、二度(3月と12月)にわたってかなりの距離を滑落しました。一度目は比高1000メートル、ゆうに東京タワー3つ分の距離を落ちたにもかかわらず、私は助かりました。この滑落状況は助かるものではないし、助かっていいわけがないのだと当時の私は思いましたが、それでも私自身はこうして生きています。ちなみに二度目の滑落後、私は「もう山には来るな」というこだまのような不思議な声を聞きました。
ひょっとしたら私は小学校三年生で遭った交通事故で死んでいるはずの人間だったかもしれません。自動車にはねられて地面にたたきつけられた私がなぜ生き残ったのかわかりません。山での二度の滑落も、常識で考えると死んでいたでしょう。
自分が生き残った理由はやはりわかりませんが、仮にそこで何か大きな力が働いたとするのなら、それは「おかげ=御蔭」という言葉に象徴される超力だと感じるのです。
私たちを生かしてくれる大いなる存在、大いなる意思のお蔭によって、私たちは今日も朝日を浴び、ご飯を食べ、帰って寝る家があり、皆と語らえるのだと、私はつくづく感謝します。
その後ろに控えている目には見えない大きな「おかげさま」の力が働いたことによるものであると感じています。
私は、肉体とは別に魂があると表現しますが、魂レベルでは私たちは皆つながった存在だと思っています。それが「おかげさま」のベーシックな部分であり、もちろん亡くなった方もそこに参加しています。
肉体は魂の乗り物であり、まるで着ぐるみのような存在です。重くて動きづらく、時には捨ててしまいたい衝動にかられることもあるでしょう。
それでも私たち人間には、肉体を伴う人生で得る様々な経験を学びに変える使命があります。この人生を大いなる存在から賜わったからこそ、おかげさまで人生を楽しんでいますとご報告することは、私たちに与えられた使命なのです。
今日も、
朝日を浴びられることがありがたい。
人生には何か大きな力が
働くことがある。
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